がんばっています!!横浜の農家
濱農浪漫
このコーナーでは、横浜で頑張っている農家さんを紹介していきます。
小原裕太さん 港南区港南台
令和4年に就農した小原裕太さんは、横浜横須賀道路・港南台ICから車で5分ほど住宅街の一角にある畑で年間約20品目の野菜を生産しています。幼い頃から慣れ親しんだ「祖父が作る野菜の味」の再現に取り組みながら土壌改良なども進め、祖父を超えるために研さんを続けています。以前は会社勤めをしていましたが、体調不良がきっかけで退職し、祖父が管理していた畑を引き継ぐことに。農業の基礎を身に付けるため、県立かながわ農業アカデミーに1年間通学したほか、祖父から野菜作りのノウハウを学びました。祖父が第一線を退いた現在は、小原さんが畑仕事の全てを担っています。
小原さんが手掛ける野菜の主力は、トマトやナスといった果菜類です。管理する畑は約15アール。栽培面積に限りがあることや、栽培管理を一人で行うことから、効率良く収量を確保できる作物を選んだといいます。周辺地域ではイモ類やタマネギが多く生産され、果菜類を手掛ける農家が少ないことも後押しになりました。今夏、最も注力した作物はトマト。「直売には欠かせない野菜で、量販店などに並ぶ品との味の違いが分かりやすい。甘くて味の濃い品を目指している」。今シーズンは肥料の見直しをしたことで理想の味にはならなかったといいますが、消費者からの評判は上々。「万人受けを狙うか、自分の理想を追求するか、悩ましいところ」と話します。
「消費者に手に取ってもらうには、味だけでなく見た目も重要」と考え、昨年にはJAが開く持寄品評会に初めて出品。惜しくも果菜類での入賞は逃しましたが、先輩農家の出品物の美しさに刺激を受け、見た目の質を上げるために畑の環境整備に着手しました。果菜類の品質向上には、傷などの原因となる風への対策が欠かせません。畑を囲う防風ネットを全て張り直し、風の影響を最小限に抑える工夫をしました。剪定などの栽培管理も作業をルーティン化し、適切な生育環境を保つよう努めました。万全の準備で臨んだ今年の品評会。結果はナスで優秀賞と優良賞、トマトで良好賞を受賞。「まさか優秀賞を取れるとは思わなかったが、この結果は励みになるし、販売する上でも箔(はく)が付く」と笑顔を見せます。
平本貴広さん 神奈川区羽沢町
平本貴広さんは出荷先や消費者が身近にいる都市農業の縮図ともいえる地で、独自の営農スタイルを築き上げてきました。管理する神奈川区羽沢町にある畑からは、みなとみらいや都内の高層ビル群を見渡すことができます。年間70品種の野菜を生産しながら、変わり種品種の栽培にも注力。手掛けるのは地方の伝統野菜から海外原産の品目まで幅広く、これまで100品種以上を試作してきました。そのマニアックさは農家仲間からも一目置かれるほど。平本さんの畑に行けば希少なものでも見つかると重宝され、飲食店関係者の中でも注目が集まっています。
取材した7月は、定番の夏野菜の他、新潟県の在来品種「神楽南蛮」、白や黒色のカボチャ、スペイン原産の唐辛子「パドロン」、メキシコ原産の「ハラペーニョ」の収穫が最盛期を迎えていました。8月には市内では生産量の少ないパイナップルが始まり、9月からは紫色のキャベツやハクサイ、温室でのパプリカなどの準備を進めています。平本さんは「見慣れない野菜でも対面販売や店内広告(POP)で、手に取ってもらえる。消費者が身近にいる都市農業の強みを最大限に生かしていきたい。形や色の違う野菜を見て、食べて、楽しんでほしい」と話します。
県内の農家11人のグループ「神七(かなせぶん)」の一員としても活動をしています。「神七」は神奈川県の7人の百姓の略。結成は平成27年で、メンバーは親元就農や農外からの新規就農、農家に婿入りした人など経歴はさまざま。現在は加入者も増えて横浜、横須賀、相模原、伊勢原、小田原市の農家11人で活動を展開しています。メンバーの栽培品目は野菜や果樹、キノコ類など合計200種類以上。それぞれが企業や飲食店との独自のパイプを持ち、この強みを生かして即売会や試食会の開催、七味や肉まん、ラー油を開発するなど県内で生産される豊富な農畜産物を発信し続けています。
豊田正和さん 港北区新吉田町
丘陵地が連なり、その懐には昔ながらの谷戸の風景が点在する港北区新吉田町。豊田正和さんは妻の育代さんと共に、この地で露地野菜の栽培に取り組んでいます。夏はキュウリ、トマト、ナスなど果菜類を中心に、冬はダイコンやカブ、ホウレンソウ、ブロッコリーなど。限られた労力でムリ・ムダ・ムラの無い作業を心掛け、安定経営の維持に努めます。豊田さんは6月初旬に行われたJA主催による野菜立毛品評会にキュウリを出品。審査員からは「果実のそろいが良い。日々の細やかな管理の成果が表れている」と、高い評価を受けました。
豊田さんは結婚を機に妻の実家に入ったことで、40代で農業人生がスタート。野菜作りは義父の背中を追って体で覚えたほか、JA青壮年部や野菜部の先輩農家から多くのことを教わってきたといいます。野菜の立毛品評会に先立って行われる予選会では、県農業技術センターの技師やJAの営農技術顧問らを交えて管内を巡回。専門家のアドバイスを聞き、キャリアを積んだ農家の畑を見ることで「良い刺激を受けてきた」と話します。
10年ほど前、雑草予防と緑肥の効果を考え、約4アールのカブ畑に裏作としてヒマワリを植えました。初めの数年は種をまいてきましたが、今は自然に伸びて花を咲かせています。畑に咲きそろうヒマワリは地元の夏の風物詩となり、近所の人々にも好評。花を愛でに遠回りをして、足を止めていく人も少なくないといいます。ヒマワリを通じて地域との触れ合いも深まりました。
武内嘉一郎さん 磯子区洋光台
武内嘉一郎さんは、花苗の生産を主軸に多角的な農業経営を実践しています。武内家は代々園芸家。大学の園芸学部を卒業し、経営を学ぶために磯子区の花菖蒲園で約1年間研修に励んだ武内さん。25歳で株式会社グリーン武内を設立し、父の代まで手掛けていた切り花生産をやめて鉢物を導入しました。当時、法人での農業経営は希有な事例。それでも法人化にこだわったのは、「株式会社ってカッコいいじゃん!」という理由。「思い立ったら即行動」という武内さんの性格を物語っています。
設立から20年間は先行投資に力を入れ、農場や販売店舗を拡大していきました。しかし、「売り上げが増えても利益が出ない。販売に力を入れすぎて生産がおろそかになっていることを痛感した」と、体制の見直しに着手。10店舗まで広げた販売店は、本店以外を撤退。本店では生産もしていましたが、生産と販売を明確に分け、経営の方向転換をしました。現在は、港南区にある温室11棟・約3000坪の圃場(ほじょう)で、シクラメンやラナンキュラス、花壇苗などを生産。スタッフが日々実験栽培に取り組み、新たな栽培技術を駆使して良質な花々を出荷しています。
「店舗で待っているだけでは売り上げは伸びない」と、社内に花造園部を設置した武内さん。「花で街を飾る」をコンセプトに、知識と技術を備えた出張販売に乗り出しました。事業の主力は、根鉢つきの花苗を吊り下げ式の容器に植え込んだ「ハンギングバスケット」。東京都の上野公園などでの仕事を受注し、街を歩く人に花飾りの美しさを伝えました。空中に飾ることで、花の消費を増やす――。このように新たな市場を拓くことを、武内さんは4次産業と捉え、農業者が生産・加工・販売までを一体で担う6次産業化と合わせて「10次産業化」を提唱。平成8年に日本ハンギングバスケット協会を立ち上げ、シェアの拡大に尽力してきました。「消費者の心が豊かになるような事業を」という夢に向け、常に新たな発想・企画を実行する行動力は衰えることがありません。
浜農家ヒラモト 神奈川区羽沢町
平本正治さん一家が営む「浜農家ヒラモト」は、野菜と果樹の栽培を手掛け、JA「ハマッ子」直売所や地元スーパー、学校給食などに出荷しています。平本家は元々、神奈川区を代表する野菜「キャベツ」の市場出荷一本の農業経営に取り組んでいましたが、時代の流れとともに市場出荷だけでの経営は厳しさを増しました。そこで、正治さんは他の品目の作付けや新たな販路の開拓に着手。加工業者との直接取引など試行錯誤を重ねる中、平成24年に「ハマッ子」直売所メルカートかながわ店がオープン。これを機に直売所への出荷にシフトしていきました。
出荷を担当するのは、正治さんの妻・聖美(まさみ)さん。「直売所への出荷を始めてから、お客さんや他の農家との交流が生まれた。自分たちの野菜が売れる様子を直接見られるのは、今までにない喜びだった。農業のやりがいや楽しさを実感できたのは、この時が初めて」と話します。明るい性格の聖美さんは、出荷先のスーパーでも常連客や店の従業員と積極的にコミュニケーションをとり、ファンの獲得につなげています。インスタグラムでの情報発信にも取り組み、交流の輪を広げています。
「愛情込めて育てた野菜を無駄にはしたくない。捨ててしまうくらいなら、大きな収益にはならなくても有効活用してほしい」と、合同会社グロバースが手掛ける乾燥野菜「YOKOHAMA Dry」シリーズの原材料として、規格外品の出荷も始めました。同商品の製造には福祉施設も関わっており、農福連携の取り組みにもつながっています。これまで、両親と正治さん、聖美さん、娘の春香さんが力を合わせて地域農業を盛り上げてきましたが、最近新たな家族が増えました。それが春香さんの夫・涼馬さん。よりパワーアップした「浜農家ヒラモト」の今後にも注目です。
中山大輔さん 都筑区大熊町
祖父、父から受け継いだ畑で地域の特産である小松菜を主力に農業に励む中山大輔さん。野菜の栽培歴は2年という経験の少なさを補うため、JA青壮年部都田支部の仲間と共に技術を高め合っています。経営も任されたばかりのため、自身の営農スタイルを確立するために日々奮闘中。昨年から取り組む農福連携施策が生産規模拡大の転機になり、今シーズンはさらなる飛躍を目指しています。
現在、15アールの畑で主力の小松菜を周年で栽培。春から秋に「いなむら」、冬は「さくらぎ」をリレーします。2年目を迎え、ダイコンやハクサイも手掛け始めました。量販店との契約栽培の他、地域のマルシェなどに卸しています。出荷作業は父の信行さんも手伝いますが、課題は管理作業に遅れが出てしまうこと。解消に向けて期待されるのが、昨年度からJAと農協観光が連携して取り組む農福連携施策への参画。農家が抱える労働力不足などの課題解決を進め、農業を通じて障害者の社会進出の後押しをする取り組みです。
農福連携施策では、サポーターを含む4人1チームがJAを通じて依頼した農家に出向いて除草や収穫作業などをします。「メンバーは障害があることを感じさせないほど戦力になっている。仕事に対して一生懸命で見習うことも多い」と中山さん。今後は作業をより単純化して、任せられる仕事を増やしていきたいと考えています。中山さんは「消費者が身近にいる横浜の強みを生かして、収穫体験や地産地消イベントを開いてみたい」と話し、農福連携施策の効果で収益が上がり新たな挑戦に目を向けられるようになった今、新たな目標に向けても着実に歩みを進めています。
北井昭裕さん 瀬谷区阿久和東
住宅と農地が混在する、瀬谷区の阿久和地区。この町で「阿久和園」は代々植木生産を手掛けてきました。現在、事業を担うのは40歳で4代目の北井昭裕さん。24歳で就農し、父・保さんの背中を追いながら植木生産に取り組んできましたが、やがて体調を崩して現役をリタイアした保さんに代わり、経営のすべてを担うことに。不安もあったといいますが、仕事を覚えて自分なりにやってみたいことも見えてきた時期。先代の手法に少しずつ昭裕さんのカラーを加え、環境の変化や時代のニーズにマッチした経営を目指してきました。
その一つが、苗木の自家増殖。ヤマモモやイチョウは種から実生苗として、サルスベリやマサキ、アジサイなどは挿し木で育てています。父の代ではこうした自家増殖は育成苗の1割未満でしたが、コストを考え、昭裕さんは約3割まで増やしてきました。また、経営効率化のため、可能な限り圃場の回転を速めることに力を注ぎます。植木の生産は、長いものでは10年以上の歳月を要する息の長い仕事。しかし10年先の需要の予測はたやすいことではありません。「そのためにも、需要の見込まれる品種や卸業者の要望など、しっかりと情報収集をしていきたい」と意気込みます。
圃場(ほじょう)では、サクラやサルスベリが1.5メートル間隔で整然と並びます。2月中旬を過ぎて60本のカワヅサクラが満開を迎えました。冬枯れの景色に、あでやかなピンク色が映えています。これからは季節の移ろいとともに、オカメザクラ、ソメイヨシノ、そしてヤエザクラとリレーしながら花を咲かせていきます。苗木を植えて3年、そろそろ出荷の時期。土を肥やし、病害虫対策を施しながら丹精してきた努力の成果に、昭裕さんは期待を膨らませています。
川戸浩二さん 戸塚区俣野町
横浜市の南西部、境川を挟み藤沢市と隣接する戸塚区俣野町。地域のランドマークとして存在感を放つ横浜薬科大学の図書館棟を見上げる平地に、川戸ファームの温室があります。園主の川戸浩二さんは、叔父の農地を引き継ぎ50才でUターン就農。農業経験ゼロから始めたイチゴ栽培は土にこだわり、イチゴ狩りの予約が絶えないほど人気を呼びます。今年は紅ほっぺ・おいCベリー・かなこまち・さがのほか・ベリーホップすず・章姫・白蜜香の7品種の食べ比べを楽しめます。
「かなこまち」は神奈川県のオリジナル品種で、糖度が10~12度と高く、酸味とのバランスが良いのが特徴。県いちご組合連合会の会員しか栽培できないため、市内での生産農家は数軒という希少な品種です。温室は2棟12a。地面から1.2mほどの高さに栽培ベッドを設置した高設栽培で、立ったまま作業ができます。培地はヤシガラやピートモスなどが一般的ですが、川戸さんはイチゴ専用の培養土に、堆肥と有機質肥料を独自にブレンド。手作業で栽培槽の中の土と混ぜ合わせるのは重労働ですが、この努力が川戸ファームのイチゴの味を生み出しています。
イチゴ狩りは1月中旬から5月中旬まで、水・土・日曜日に30分食べ放題。人気の一方で、悩みの種が予約の電話対応。多い日は1日100件もあり、その対応だけで相当な時間を費やします。そこで令和4年1月より、「ウラカタ予約」というシステムを導入。デジタルトランスフォーメーション(DX)化により、24時間無人で予約受付ができ、飛躍的な負担軽減を実現。イチゴの出来次第で、予約枠を自由に設定し、スマートフォンで予約状況を確認できます。オンライン決済により現金のやり取りがなくなり、キャンセルも減少。作業効率化に加え、集客数も1.5倍に伸びるなど、今や欠かせないツールとなっています。
萩原千秋さん 青葉区寺家町
萩原家では千秋さんの曾祖父が野菜作りを始め、祖父も農業に従事。千秋さんにとって、子どもの頃から農業は身近なものでしたが、後を継ぐ考えはありませんでした。元々は情報処理系の会社に勤めていた千秋さん。しかし、入社当初からリーマンショックの波にさらされ、仕事に不安を感じるようになったといい、千秋さんと同様に会社勤めをしていた父と共に就農することを決めました。栽培管理など農作業の大半は千秋さんが担当。知識や技術は祖父から学んだほか、JAの講座を受講して身に付けました。
栽培するのは露地野菜が中心。年間で約40品目、50~70品種の少量多品目に取り組み、自営の直売所「南」で販売しています。直売は祖父の代から始めたもので、当時はテントで販売していましたが、千秋さん親子の就農に当たり現在の直売所を建てました。「これまでの直売に固定客がついていたことに加え、ふるさと村に訪れる人などの集客が見込めた。規格外野菜をもったいなく思い、他に出荷するのではなく自前で売ることを選んだ」と言います。ブログやSNSで営業日を告知するようになり、新規の来店客も増加しました。
直売所には野菜の他に、神奈川県の奨励銘柄米「はるみ」や柿などの果物、母が手掛ける農産加工品も並びます。来店客にゆっくりと買い物を楽しんでもらえるよう、店内には喫茶スペースも設置。飲み物やかき氷(夏)、おしるこ(冬)などを提供しています。千秋さんには、会社員時代から「人のために何かやりたい」という強い思いがあります。少量多品目栽培が故に、専門家に比べて知識や技術が足りないと悩むこともありますが、「お客さんにおいしいものを食べてもらいたい」という気持ちは誰にも負けません。
清水優吾さん 泉区和泉町
相鉄線ゆめが丘駅より徒歩5分の立地にある清水ファームの温室。周辺は大規模な開発が進み、街並みが様変わりし始めています。清水優吾さんは20歳で就農してトマトの養液栽培に励み、昨年には父の良政さんと分業し、自身で管理する温室を建てました。試行錯誤する毎日ですが、父や師と仰ぐ県立かながわ農業アカデミーでの実習先農家に力を借りながら歩みを進めています。
清水さんは就農して5年目を迎えた昨年の春、結婚を機に父から独立。環境制御システムで24時間管理できる温室で養液栽培を始めました。昨シーズンは試験栽培をして日の当たり方や湿度などハウスの特徴を把握する時間に費やし、昨年8月から本格稼働。長段栽培をして25段まで収穫を続けます。取材をした11月中旬、清水ファームの温室では1段目のトマトが赤く染まり、収穫が始まっていました。今年5月ごろにピークを迎え、7月上旬までを予定しています。
現在、4連棟15アールほどの温室で大玉「みそら109」3000株のほか、中玉「フルティカ」とミニの「エコスイート」を200株ずつ栽培しています。水の溶存酸素や液肥から養分を吸収しやすい水耕装置で管理。新たな養液が流れ続けて病気が拡散しにくい非循環方式を採用し、栽培状況のデータ化もできます。販売は地元量販店の地場産コーナーや、JAの「ハマッ子」直売所2店舗など。「売り上げという結果がやりがい。今は売れ残りが出てしまい悔しい思いをすることもあるが、いつか尊敬する2人に追いつきたい」と高い意欲で日々の農作業に励んでいます。
小嶋康照さん 港北区日吉本町
新横浜やみなとみらい、都内の高層ビル群が見渡せる圃場(ほじょう)で、植木を生産する「正中屋(しょうちゅうや)」。2代目社長の小嶋康照さんは、先代が築いた事業を守りつつ、環境の変化に柔軟に対応しようと新たな品目の導入に積極的に取り組んでいます。小嶋さんは大学卒業後、10年ほど食品メーカーに勤めていましたが、父が体調を崩したことを受けて就農。当時、植木生産の専門的な知識はなかったため、仕事のノウハウは父、生産技術は先輩農家から学んだといいます。
圃場では、中木(ちゅうぼく)を中心に多品目を育成。数ある品の中でも、特に思い入れがあるのは長年、父が育ててきた「コウヤマキ」と「ハナモモ」。接ぎ木が難しく、活着がうまくいかないこともありますが、「苦労する分、成功した時の喜びは一段と大きい」と笑顔を見せます。父から受け継いだ事業を発展させるため、これまで扱うことのなかった品目にも着目。温暖な気候を好むオーストラリアプランツなどの新たな育成品目として取り入れ、需要の掘り起こしを試みています。
植木生産以外に、10年ほど前に先輩からニホンミツバチを譲り受け、養蜂にも挑戦しています。桜の開花から2週間ほどが分蜂のシーズンで、手作りの巣箱近くにニホンミツバチが好む蜜蜂蘭(きんりょうへん)という植物を置き、誘引するための仕掛けをします。「一見、植木の栽培とかけ離れているように思われるが、生き物を育てる難しさはどれも同じ」。年に1度の秋の採蜜が楽しみだといいます。小嶋さんは、新たな挑戦を通じて知識や技術に磨きをかけるため、日々研さんに励んでいます。
石井和夫さん 戸塚区汲沢
国道1号線、戸塚警察署から車で5分ほどの場所にある「丸伝農園」。横浜を代表するブランド果実「浜なし」「浜ぶどう」を生産する果樹農家です。昨年からは、冬場の作物としてイチゴの栽培も始めました。園主の石井和夫さんは、長男・保雄さん、次男・直樹さんと共に環境変化に対応しながら各々の「やりたい農業」を実現し、地域農業を盛り上げています。夏場に開く梨・ブドウの直売は、開始から10分で完売することもあるとか。宅配予約も多く、「贈り物として受け取った人から、翌年に直接注文が入ることもある」と言います。
和夫さんは大学卒業後に就農。当時は、祖父母や両親と共に野菜や米を生産していました。一方、農地周辺は徐々に宅地化が進み、営農環境が変化し始めていました。最も影響を受けたのが水田。「田んぼの水は川から引いていたが、上流に住宅が増え、家庭の雑排水が混ざるようになってしまった」。このまま水田を維持するか否かを悩む中、横浜市が市営地下鉄の開通工事で出た残土の処理に困っているという話を耳にしました。これをきっかけに、周辺農家と共に残土を使って水田を畑に転換。この畑で果樹栽培を始めました。
梨の栽培知識や技術は、旧横浜南農協果樹部が主催する講習会などで習得。導入品種も先輩農家のアドバイスを参考にしました。「長く農業を続けていくには味への信頼が大事」と、父が行っていた引き売りやJAの支店で開く直売に出荷し、品種や味の特徴を丁寧に説明しながらファンを獲得していきました。和夫さんは現在も梨を担当。保雄さんと直樹さんは、ブドウとイチゴを担当します。「自分がやってきたことを息子たちに押し付けず、それぞれの意見を尊重している。お客さんの声を聞きながら形を変えていけばいいが、緑は減らさないでほしい」と、和夫さんは思いを語ります。
加藤佑太さん 神奈川区片倉
温室から都内のビル群が見渡せる高台に位置する加藤園芸。10年前、結婚を機に花農家の道に進んだ加藤さんは、冬のシクラメンと夏のポーチュラカを主力に園を経営しています。今年、生産技術の向上や経営の安定を図る日本花き生産協会の理事に選任。県の園芸協会では「2027横浜国際園芸博覧会」の担当をするなど、活躍の場を広げています。
6月下旬、加藤園芸ではポーチュラカの出荷作業に追われていました。梅雨時でも園芸を楽しみたい消費者向けに栽培する夏場の主力商品で、購入後にそのまま飾れるつり下げ型の鉢物で出荷。カラフルな見た目が〝映える〟と人気を集め、管理作業が楽なことも魅力です。価格帯の手ごろさも相乗効果を生み、市場からの注文数も増えています。出荷先は東京都内のフラワーオークションジャパンや東京砧花き園芸市場、JAの「ハマッ子」直売所メルカートかながわ店。7月末までに約5000鉢を納めました。
横浜産花卉の普及のため、県では園芸協会、全国では日本花き生産協会で活動。所属する生産者はベテランが多く、加藤さんは一番の若手として同世代の意見や課題を吸い上げて解決策を模索しているそうです。「『2027横浜園芸博覧会』の成功が今の目標。横浜の生産力をPRする絶好の場になる」と話します。園では7月からシクラメンの作業を進めています。鉢上げをして夏を越し、8月中旬からは葉が締まった高品質なシクラメンを仕立て上げるため、葉組みの作業を徹底。出荷までに3回以上行い、11月下旬から直売を始める予定です。
小塚剛俊さん 鶴見区駒岡
民家やマンション、工場、倉庫などが立ち並ぶ鶴見区駒岡。鶴見川が近くを流れ、かつては水田が広がっていた地域ですが、今はその面影はありません。そこだけ緑の空間が残る一団の生産緑地で、小塚剛俊さんは露地野菜を中心に少量多品種栽培を実践。アパレル業界からUターン就農して6年。消費者を味方にすべく、農業・農家の存在をアピールします。
約30アールの生産緑地と自宅周りで、年間60品目を生産する典型的な「ザ・都市農業」。小塚さんは、「作業している姿を見てもらえば農業への理解を得やすいはず。だからできるだけ毎日畑に通う」といいます。雨の時は小屋で作業するので外から姿は見えませんが、トラックを見える位置に停めることで存在をアピールします。
大学で経営工学を学びましたが、全く畑違いのアパレル企業に就職。大半はセレクトショップの売り場に立ち、店長も務めました。
40歳で退職し就農。労働力は1.5人。生産緑地は自身、自宅周りは父が担います。父の代に販路を市場から直売に転換。栽培品目を引き継ぎつつ、毎年1つは新しい品目にチャレンジします。
就農後、自宅裏にあった無人直売所を畑に移し、対面販売に切り替えました。前職で磨いた接客の技を生かすためです。畑で作業しながら、来店客の姿が見えれば売り場に戻ります。何気ない会話から消費者ニーズを聞き出し、新品種導入の参考にします。
新規客の獲得にはSNSを活用。インスタグラムは直売日前日の午後9時ごろ、閲覧数が最も多い時間帯に更新。販売品目を告知するほか、西洋野菜など食べ方が知られていないものは、妻に料理を作ってもらい写真をアップしています。
遠藤早苗さん 泉区上飯田町
市の南西部に位置する泉区。藤沢市と大和市に接し、市内最大の農地面積を有しています。その西端に位置する上飯田町に、旬の野菜を使って加工品を作る遠藤早苗さんの加工所「つけものサロン」があります。加工品づくりの出発点は、JA「ハマッ子」直売所に出荷し、売れ残ってしまった父・武次さんの野菜を母・一枝さんが見て、「お父さんが育てた作物を無駄にしたくない。何とかできないか」という母の思いから始まりました。
遠藤さんはラベル作りも得意で、業者に頼まず全て自分で作ります。イラストを入れるのはもちろん、珍しい野菜を加工するときは、食材の特徴を記載するなど、消費者の立場で、安心して購入できるように一言添える工夫も欠かしません。利用客の目に留まるよう、店頭の並べ方にもこだわりがあります。直売所の職員に「『遠藤さんの加工品はいつもカラフルできれいですね』と言われたときはとてもうれしかった」と笑顔で話します。
次々と生まれる加工品のレパートリーは、数えたことがないといいます。年間を通じて一番人気は「筍の水煮」。「ゆず大根」や「Qちゃん風きゅうり漬」、「紫大根の甘酢漬」も人気があります。加工品づくりには、家族の協力が必要不可欠で、加工品の味見や食べやすい長さに切るアドバイスなど、消費者目線で細かい配慮をしてくれるのはありがたいと話します。今後の課題は、「リンゴのパウンドケーキ」や「栗の甘露煮」など、お菓子のレパートリーを増やすこと。「母から受け継いだ味が途切れないよう、技を娘やお嫁さんにも伝えていきたい」と思いを語ります。
小澤信悟さん・千景さん 神奈川区羽沢町
相鉄線「羽沢横浜国大駅」の目の前に位置する畑で年間約30品目、100品種の野菜を生産する小澤信悟さん・千景(ちかげ)さん夫妻。元々は市場出荷をメインにしていましたが、12年ほど前から直売やスーパーへの出荷にシフトしました。天候や収穫量によって取引価格に変動があり、自由に売値を決められない市場に比べ、「直売は自信を持って育てた野菜の値段を自分たちで決められる。お客さんに買ってもらえたときの感動は、農業のやりがいになっている」と夫婦は口をそろえます。
小澤さんは、イタリア野菜などの海外品種を多く栽培しています。当然、原産国の気候と横浜の気候は異なるため、うまく生育しないこともあるといいます。初めて作付けをするときは、種袋に書かれた時期に合わせて作業しますが、育ち具合などを確認し、翌年からは同系統の作物を参考に種まきのタイミングを変えたり、被覆資材を使ったりと、研究に励みます。こうした積み重ねが功を奏し、収量が大幅にアップした野菜もあります。
メインの出荷先であるスーパーは、近隣の農家の品も並びます。市場と並行して出荷する農家は、ダイコンやキャベツなどの定番野菜を多く生産。「店としては外せない定番の品は、他の農家に任せて、私たちは『ちょっと珍しい』『他では見かけない』野菜を出荷します」と小澤さん。一方、なじみのない野菜に対する消費者の反応は厳しい面もあるとか。「特に高齢の方は手に取ってくれないことが多い。カラフルなダイコンも、青首ダイコンと同じように調理できる。品物を選ぶワクワク感や彩り豊かな食卓を楽しめることを知ってほしい」と思いを語ります。
小金井友治さん 都筑区川向町
数年前までは水田が一面に広がっていた都筑区川向町。港北I・C周辺の大規模な開発でその姿は一変し、商業施設や物流倉庫、公園などを含んだ街づくりが進んでいます。それに伴い耕作面積が減りつつある中、小金井さんは自宅裏に代替地を取得し、地元の農業を守るために小松菜の周年栽培に励み、一から作った水田では地域住民を巻き込み、子どもたちへの食農教育にも力を注いでいます。
小金井さんは親子で自宅裏のハウスと露地、港北区新羽町にある畑40アールほどを管理し、周年で小松菜、春と秋はハウスでチンゲンサイも栽培。小松菜は春から秋は「夏の甲子園」、冬は低温伸長性のある「さくらぎ」「いなむら」をリレーし、全量を近郊の市場に出荷しています。シーズン前には必ず土壌診断を受け、管理する畑ごとに施肥量を計算して過不足分を調整。夏場にはソルゴーを植えて緑肥としてすき込むことで保水性を良くし、微生物が生息しやすい環境を作っています。
食農教育には平成19年から取り組んでいましたが、開発で水田を失い、コロナ禍もあってここ数年は中止に。令和2年、食育を復活させるために動き、小金井さんの農地を造成するタイミングに合わせてJAの技術顧問や営農インストラクターと共に一部を手作りの水田にしました。〝令和の田んぼ〟という愛称を付け、2年前から地元の和太鼓クラブの生徒に農業の魅力を伝えるのに活用。小金井さんは子どもたちの笑顔が見られたことに成果を実感し、「今後も農業を中心とした地域交流の場を残していきたい」と目標を掲げます。
柳下 昌章さん 栄区鍛冶ケ谷
鎌倉時代、この地に鍛冶師が住んでいたことが地名の由来といわれる栄区鍛冶ケ谷。地区内はすべて市街化区域に指定され、住宅に囲まれた50aの生産緑地で露地野菜を作る柳下昌章さんは、JA本郷支店管内の貴重な担い手の一人。同区桂町のJA「ハマッ子」直売所本郷店に毎日出荷するなど、農業への熱意は年齢を感じさせません。
2月上旬の端境期でも、ダイコン、ネギ、ハクサイ、レモン、湘南ゴールドなどを出荷。消費者ニーズの高い野菜を年間20~30品目栽培します。同支店管内では、まとまった規模で作付ける出荷者は数少ないですが、その中でも存在感を放ちます。生産はほぼ一人で担い、収穫と調整作業は実弟の協力を得ます。土を動かすなど重いものを持つ作業は、さすがに堪えるといいます。育苗も視力が弱るとともにできなくなり、主力野菜は購入苗に切り換えました。しかし、「農業は自然相手。毎年同じ作業を繰り返していても、同じ出来にはならない。だから日々勉強だよ」と、向上心は衰えを知りません。
近くに住む 長女が届けてくれる夕食を食べながら、その日の農作業をJAのカレンダーに書き込むのが日課。カレンダーは何年分もストックし、1年前の作業を振り返って改善に生かすことも。JAが発行する『営農情報』を1年単位でファイリングするなど、几帳面な性格を裏付けます。3年前に大病を患いましたが、初期の発見だったので、大事には至らずに済みました。「今が絶好調」と元気満々で、生涯現役を続行中。健康の秘訣を聞くと、迷わずこう笑い飛ばしました。「焼酎と畑だよ!」
平本尚寛さん 神奈川区羽沢町
武(たける)花園の屋号を掲げ、親子2世代で多品目の花き栽培に取り組む平本尚寛さん。「皆さんが就農時から親身に教えてくれ感謝している」と平本さん。互いの技術研さんを目指して教え合う、JAの花卉部員の温かさを肌で感じています。「苗物は結構気合いを入れている。リスクを分散しないと怖いので、一通りの品目は作っている」と話します。
武花園では主力品目が特定できないほど多彩で、草花はペチュニア、ネメシア、オステオスペルマム、コスモス、シクラメンなど20品目、シクラメン1品目でも30品種を栽培。野菜苗は15品目になります。出荷先はグリーンピアが6割、園芸店が2割、残り2割がJA直売所や都内の市場です。
就農間もない頃、シクラメンを高い技術で育てる港北区の3戸の生産者を、県農業技術センターの案内で訪問。「作り物のように均一でまさに〝神〟レベルだった。1から10まで教えてくれたので今がある」と振り返ります。就農同期の部員2人は品評会でトップを走ります。これより少し前に就農した1人もまたしかり。「自分も負けたくない」という気持ちが実を結んだのは、昨年12月。横浜市役所で開かれた横浜花き展覧会で、平本さんが出品したシクラメンがトップの県知事賞に。昨年から苗の多くは業者から求めず、12月上旬に種をまく自家育成に転換。11月下旬からの出荷を目指し、気の抜けないシーズンが始まっています。
原木浩国さん 都筑区東山田町
年間約35品目の露地野菜を生産する原木浩国さん。自家直売の他に、JA横浜直営の「ハマッ子」直売所都筑中川店や市立東山田中学校に併設のコミュニティハウスにとれたての野菜を出荷しています。JA直売所では、イベントにも注力。来店客らに試食を配り、地元野菜のおいしさをPRしています。「地元農家や出荷者が皆で直売所を盛り上げている。イベントでの対面販売は、消費者ニーズの把握にもつながっている」と笑顔。来店客の声を聞き、栽培品種を見直すこともあるといいます。
原木さんは、食農教育にも積極的に取り組みます。小・中学校での出前授業、収穫体験の受け入れなど、対象者に合わせた内容で食と農の大切さを伝えています。「収穫した野菜を家族みんなでおいしく食べてもらえればうれしい。子どもたちの体験をきっかけに、直売に足を運んでくれる人もいる」。都筑区は農業が盛んな地域ですが、東山田町は業として農業を営むのは7戸ほど。市街化が進む中、こうした地域とのつながりが原木さんの営農を支えています。
令和3年からは、直売の変わり種商品として蜂蜜の出荷をスタート。自宅の庭にはセイヨウミツバチの巣箱が並んでいます。以前も養蜂に取り組んでいましたが、当時は農業以外でも多忙だったため断念。コロナ禍で時間に余裕ができたことから、再開しました。地元小学校で開かれたイベントでは、野菜の即売に加えて蜂蜜も販売。「東山田産」をPRすると多くの人が関心を示し、手に取っていました。
金子直樹さん 戸塚区舞岡町
戸塚区舞岡町で生産される「舞岡トマト」。金子直樹さんは幼少期から祖父が作るトマトを食べ、いつか自分も作りたいと思い続けてきました。実現のために進学した滋賀県の園芸専門学校の2年間で同世代の仲間と切磋琢磨して農業に取り組む基盤をつくり、3年前に就農。〝消費者にとって身近な生産者〟をモットーに地産地消の促進にも励んでいます。金子さんは祖父の光一さんと野菜を担当し、父の浩幸さんが果樹を管理。3世代で農地を守っています。
金子さんは1棟4アールの温室と40アールの畑でトマトを主力に、季節に合わせて年間約30品目を生産しています。土作りで使うのは自家製の堆肥。梨の冬場の管理で出る剪定(せんてい)枝をチップにし、3年かけて完熟させたものを堆肥にして土に混ぜ込みます。これにより、はっ水、保水性の良い土壌になるそうです。販路はJA横浜「ハマッ子」直売所舞岡や、メルカートいそご店と本郷店。夏場のみ温室前で直売もしています
将来的に収穫体験や地産地消イベントを開き、農業に興味を持つ人を増やしたいと夢を描く金子さん。SNSでは目にする機会の多い同世代に向けて栽培の過程や出荷状況を随時投稿して農業の魅力を発信。直売所では野菜袋にQRコードのシールを貼り、閲覧を促す工夫も。最近では子育て世代や若い消費者からの反響コメントも増え、徐々に成果が表れています。「生産者を身近に感じてもらい、舞岡野菜に興味を持ってくれたらうれしい。地産地消をもっと当たり前にものにしたい」と、目標を掲げる金子さんの今後の活躍が見逃せません。
横山 彬さん 泉区和泉町
幹線道路のかまくらみちと環状4号線に挟まれた、南北に長い泉区和泉町。市内有数のキャベツ産地として知られますが、他にも施設野菜や果樹、花き、養豚、養鶏など、農業が盛んに営まれています。町北部の三家地区で、自宅周りの畑や竹林2ha余りを管理する横山彬さんは、60才まで勤めた後に就農し、栗を丁寧に選果してJAに出荷します。
約20aで50本の成木と30本の苗木を管理。品種は主力の利平の他、国見、筑波、銀寄、石槌、ぽろたんなど。収穫は家族の協力もありますが、通常は1人。最盛期を迎えると1日3回、朝昼夕の各2時間ほど栗を拾いますが、それでも拾いきれないことがあります。地道に目を凝らし、見落としがないよう歩いた場所を逆方向からもう一度探します。収穫量は多い時で1日50㎏ほど。拾う際に空のいがは木の根元に寄せ、その後に落ちたイガと見分けがつくようにしておきます。
「自然落下は完熟の証し」と、収穫翌日の出荷が自らに課したルール。選果はすべて手作業で、虫食いや割れなどを1つずつ確認しながら重さを量り、18g未満のSから40g以上の3Lまで5種類に区分。大粒のL、LL、3Lは大きさを揃えるために、自作のスケールに当てはめて選別する徹底ぶりです。500g単位でネットに詰め、「利平栗」「クリの王様」といったスタンプを押した荷札を結び付けてようやく完成。JA「ハマッ子」直売所みなみ店などに出荷します。鮮度が落ちる前に売り切りたいと考えたのが、味が似ている利平以外の品種を混ぜ合わせた「いずみマロン」。響きが良く目を引くネーミングで差別化し、有利販売につなげています。
飯島 晃さん 港北区新羽町
飯島晃さんは地域の特産「小松菜」を主力に露地野菜を専門に栽培しています。農業高校を卒業後、旧県立農業大学校(現県立農業アカデミー)で2年間野菜を専攻。2年目には川崎市内の露地野菜農家での実習があり、スーパー出荷の実態を見聞したことで視野が広がりました。卒業後は父が営んでいた露地栽培によるトマト、カブ、ホウレンソウ、キャベツなどを一緒に作り、市場出荷をしていました。20年ほど前からは町内の仲間と近隣のスーパーへの出荷を始めました。
この頃から不安定な市場価格への課題が徐々に改善し始め、主作物は小松菜になっていきました。「初夏なら種まき後4週間ほどで出荷できる回転の良さと、夏でも栽培できるのが魅力」といいます。その後、小松菜を中心にした学校給食への食材供給を、JAを通じて始めることに。品目は増え、ダイコン、ホウレンソウ、ジャガイモも加わり、学校数も10数校に増加。JAが学校の注文を取りまとめ、週4回、概ね朝の配達になり、およそ約30キロのルートを自己配達します。JAの一括販売へも出荷。きた総合センターに併設の集荷場に納め、スーパー数店舗に運ばれます。「市場出荷と比べ、安定した価格で出荷できるのが何よりもありがたい」と飯島さん。配達を続けるうちに学校給食への招待や、児童が畑の見学にも来ました。時には、ビデオで撮影した畑の様子を、校内で放映する学校もありました。
長男の拓哉さんは大学を卒業し、2年前に就農しました。営農の様子はインスタグラムを使い日記のように小まめに掲載。鮮やかな彩りと感性の良い写真が目を引きます。食農教育への意識も高まり、月1回の「大学マルシェ」に野菜を納めます。現在、飯島さん宅では年間40種類ほどの野菜を栽培します。2年前からは、焼いた時のトロトロ感が人気の白ナスやゼブラナスを追加。白ナスは1個300㌘にもなり、4本仕立てでは支えきれず、茎が太くなる2本に改善しました。サラダに合うワサビ菜や青パパイアも試験的に始めました。
古川原琢さん 港北区高田町
古川原琢さんは大学卒業後、大手合繊メーカーの花形部署で活躍していましたが、平成25年に農外から新規就農しました。当初は畑を借りて野菜作りをしていました。しかし、「この地域で長く農業を続けていくには、周辺農家に認めてもらうことや、JAとの関係構築も重要」と考え、農地を購入。古川原さんの農業にかける熱い思いが周囲にも伝わり、就農から3年後にはJA横浜新田支店の正組合員になりました。「地域の仲間として受け入れられたことが何よりもうれしかった」と笑顔を見せます。
現在耕作する畑は1ヘクタール。年間50種類ほどの露地野菜を生産する他、市内では珍しい「ホップ」栽培も手掛けています。「自分がお酒好きということもあって、とれたてのホップを使ったビールを通じて地域農業を盛り上げたいと考えた」といいます。8月に一斉収穫し、その日のうちに市内でクラフトビールを製造する㈱横浜ビールに納品。9月ごろに「横浜港北フレッシュホップエール」として販売され、高い人気を誇っています。「ビールをきっかけに、地元農業や農産物に関心を持ってもらえればなにより」と話します。
チャレンジ精神が旺盛な古川原さん。新たな作物の栽培も積極的に取り組みます。昨年11月に初収穫したバナナもその一つ。市内でのバナナ栽培は温室を利用することが多いですが、「耐寒性のある品種を選べば、暖房費などのコストをかけずに育てられる」と、露地栽培に挑戦。初収穫したバナナは味も良く、納得の出来に。次は販売を目指しているといいます。古川原さんは「消費者においしい野菜や果物を届けたい。農業で地域貢献をしたい」という思いを胸に、日々農作業に励んでいます。
石川知成さん 瀬谷区橋戸
横浜市瀬谷区の西部で梨を主力に生産する石川果樹園の2代目として、両親と農業に励む石川知成さん。Uターン就農し、前職の自動車部品メーカーでの開発者気質を発揮して新たな栽培手法を探るとともに、JA果樹部の仲間と技術を高め合っています。飲食店や量販店が建ち並ぶ環状4号線に沿いにある園は市街化区域で、白い多目的防災網の存在感が際立ち、周辺住民に配慮した農業生産を心掛け、地域に理解され、支持される都市農業を実践します。
園は80アールあり、主力の梨を40アールの園で栽培。そのほか柿やキウイフルーツを手掛けます。今年は8月上旬から「幸水」の収穫が始まり、「豊水」「秀玉」をリレーしながら9月中旬ごろまでに8トンの収量を見込みます。販売は直売と宅配のみで、リピーター(再来訪者)も多く直売には連日行列ができるほど人気です。さらなる消費者のニーズに応えるため、2年前から人気品種の「幸水」を主体に改植。収穫ゾーンとローテーションさせ、収量をなるべく落とさずに早期成園化を目指します。
「浜なし」は平成27年にJA横浜が商標登録。3年前にかながわブランドにも登録され、年々商品価値を高めています。「先輩たちが築き上げてきたものを守っていかなければいけない。時代につないでいくのも自分たちの役目」と話します。JA果樹部は技術を惜しげもなく教えてくれる先輩が多く、次世代を育てる環境があります。石川さんもこの中で同世代と切磋琢磨してきました。「農業は毎年違う環境で作る難しさがある。どんな状況にも臨機応変に対応する面白さが最近になって分かってきた」と、笑顔を見せます。
塩川 吉徳さん 保土ケ谷区藤塚町
花苗を生産する「塩川ナーセリー」園主の塩川吉徳さんは、結婚を機に6年目から父・藤吉さんから経営を独立しました。公共事業では連携し、花の地産地消に力を注ぎます。高校卒業後、県立農業アカデミーで鉢物コースを2年間専攻。その後は鶴見区内で造園を1年間学び、家業を継ぎました。主力の栽培品目はカーネーション、パンジー・ビオラ、ガーデンシクラメンで、50品種ほどになります。
6年前から妻・玲子さんの発案で、切り花用品種をポットで栽培。立体感が出せる品種で、消費者嗜好に応えています。出荷先は近隣のJA横浜「ハマッ子」直売所3店舗が中心。ほかに横浜市緑の協会が取り組む、市内の緑化支援「花やぐまち助成事業」を活用する諸団体に花苗を供給。イベントにも出店し、横浜育ちの花の普及拡大に余念がありません。
山下公園で4月に開かれた花壇展では、JA横浜が市長賞と市民賞をW受賞しました。今年は花卉部の中央ブロックが担当。デザインを引き受けたのは塩川さん。幅4㍍、奥行き2・5㍍の花壇の植え込みスケッチを3案描いた頃には、「JA横浜の名を背負っての出展に意欲が沸いた」と振り返ります。プランでは、計算し尽くした設計や同系色のグラデーションはあえて避け、花で輪郭線を描かない自然な植え込みにも徹しました。主役には、ピンクや黄色といった元気が出る配色を選択。「花好きな市民が好きな色の花を直売で買ったら、こうなった―というのが発想の原点」で、市民投票での最多獲得もうなずけます。角材はアンティーク調の白塗りでは、主役の花より目立つため、木材本来の色を生かしました。「部員の皆さんは日頃からフランクに接してくれる。共同作業でも直売所でも。『あの花、渋めの品種だけど、どうやって作るの』と聞けば、分け隔てなく教えてくれる」。こういう部員仲間の姿勢は、消費者への気遣いにも通じています。
羽太喜久雄さん 戸塚区影取町
横浜市内でも希少な苗木農家の羽太喜久雄さんは、県が取り組む花粉症対策に協力しています。少花粉のスギやヒノキ、無花粉スギに加え、全国で初めて神奈川県が発見した「無花粉ヒノキ」の育苗を担っています。令和元年から県に委託され、育苗に着手。昨年、152本を初出荷しました。このヒノキは種子ができないため、挿し木で育てます。県から提供される挿し穂をコンテナに直接植え付け、1年間は無肥料で発根させ、翌年は肥料を与え、出荷規格まで生長させます。
以前から少花粉スギ・ヒノキ、無花粉スギの育苗を手掛けている羽太さんでも、無花粉ヒノキの育苗には苦労したそう。「スギは100%活着するが、このヒノキは活着させることが難しく、初回分は約70%だった。翌年から作業時期や遮光資材を見直し、90%まで改善させた」と話します。一般的な挿し木専用の品種に比べて発根が弱いため、出荷まで倍の時間をかけているといいます。羽太さんが大切に育てた苗木は、南足柄市にある「県立21世紀の森」などに順次植樹されています。
花粉症の流行が原因で、スギやヒノキが敬遠されるようになりましたが、伐採するだけでは自然環境が維持できなくなってしまいます。県では全国に先駆けて無花粉・少花粉品種への植え替えが進められていますが、「まだまだ十分とは言えない」と羽太さん。最近では県産の木材を使った木造高層ビルが建設されるなど、国産木材への注目が高まりつつあります。「県産木材の消費量が増えれば、無花粉・少花粉品種への植え替えがさらに進む。食材だけでなく、木材の地産地消にも目を向けてほしい」と期待を込めます。
山本 達夫さん 港北区新吉田町
山本達夫さんが営む「奥平園」。祖父の代ではこの地域の名産だった桃を主力に、野菜や栗を生産していました。平成に入り、第3京浜道路の都筑ICや市営地下鉄グリーンラインの開通により近隣に住宅が増え、庭木の需要が高まったことを受けて父の代で植木に転換。近隣の住宅200戸の庭造りを請け負ったそうです。山本さんは現在、農地を守ることと苗木の品質維持を考えて植木生産を専門に。造園会社やJAの植木部員からの幅広いニーズに応えるため、妻の早苗さんと長男の浩(ひろ)気(き)さんの3人で奮闘しています。
取材した3月下旬、奥平園ではかんきつ系の苗木の植え替え作業に追われていました。ほ場は数か所に分かれ、合計で1・8ヘクタール。新吉田町は谷戸になり、場所によって2、3度の気温差があるそうです。「土も赤、黒で性質が違う。60以上ある栽培品目もそれぞれ特徴があるので、木に合った環境を選んで管理している」と山本さん。同園の苗木の7割は挿し木や接ぎ木での増殖と、実生から育てたもので、「労力はかかるが、一から生育するのでお客さまに安心して送り出せる」と、品質に自信をのぞかせます。
長男の浩気さんは大学卒業後に地元の園芸店に就職。世の中のガーデニング事情や園芸商品の流通について学び、9年前にUターン就農しました。山本さんは近年の植木生産は単価が下がるなど不安定で、苦労することが分かっていたので、継いでほしいとは思っていなかったそうです。「代々受け継いできた農地を息子が守ると決めてくれたのは親として本当にうれしい」と安どの表情。浩気さんは「一緒に働いてみて改めて父の偉大さを実感した。近い将来、自分の名前で苗木を買ってもらえるようになりたい」と目を輝かせます。
舞岡四季の会 戸塚区舞岡町
水田や畑、梅林、竹林など、豊かな自然空間が広がり、元気な農業が息づく舞岡ふるさと村。市営地下鉄「舞岡駅」から地上に出てすぐ、ふるさと村を象徴するJA横浜「ハマッ子」直売所舞岡やがあります。店内に併設された加工所が、漬物など農産加工品を手掛ける女性グループ「舞岡四季の会」の活動舞台。ふるさとの味を守り続け、今年で結成30周年を迎えます。
加工品は20種類ほど。一番人気はユズを入れたダイコンの甘酢漬け「舞漬け」。シャキシャキした歯ごたえが特徴で、地場産の収穫がない8月以外は通年で販売します。ウメやタケノコといった、地域の特徴である里山の恵みを使った加工品も人気。添加物を使わないため、毎日少量を作ります。高菜漬けだけは少しでもきれいな緑色を維持するため冷凍販売するなど、手間を惜しみません。
会員は5人。当番制で一人当たり月10日ほど作業します。野菜は原則、同店から仕入れ、B品やC品にも相応の対価を支払います。会員の大半は野菜農家で、同店の出荷者でもあります。出荷物には生産コストがかかることを知るからこそ、無償で譲り受けることはしません。自家の野菜でも店を通して仕入れるのがルールです。全員が70代。「漬物石が重くて持ち上がらない」と笑い合う。44人いた会員は徐々に減り、一人にかかる負担は増えましたが、無理をせず自分たちのペースで活動を続けてきました。集まれば世間話に花が咲き、加工場は皆さんにとって元気をもらえる基地でもあるようです。
美濃口等さん 泉区下飯田町
相鉄いずみ野線・ゆめが丘駅から徒歩5分。「駅チカ」の観光イチゴ狩り園「ゆめが丘農園」を営む美濃口等さんは今季で開園11年目。生産も安定し、横浜産イチゴへの需要に応え、販売手法の充実を図っています。栽培当初、市内のイチゴ農家は少なく、美濃口さんは平塚市の生産者から栽培手法や資材の調達を習得。「初めの3年間は暗闇の中。ダニやうどん粉病の発生、受粉で飛び回るセイヨウミツバチの死滅、そして栽培の難しさ…。安定したのはここ5年」と振り返ります。
現在の栽培面積は約30アール。腰高のベンチが並ぶ高設栽培を採用。用土には最適な栄養分を含んだ養液が流れ、パイプに流す温湯で株の冷えを抑えます。苗は天候不順によるリスクを想定し、自家栽培7割、購入3割と併用。葉色の濃い元気な株は、炭酸ガスで光合成を促した成果です。広いハウスはバリアフリーのため、ベビーカーや車イスでも安心。栽培品種は粒の大きさ、人気、甘味の点から「紅ほっぺ」「章姫」「おいCベリー」「よつぼし」の4品種です。
1月中旬から5月中旬まで続く予約制のもぎ取り。例年、土・日・祝日の営業で、平日は出荷に専念したが、2月中旬からは平日も対応。来園者の集中回避を図ります。出荷先は、横浜市中央卸売市場とJA横浜の一括販売、3~4店舗のケーキ店。今季からは横浜市のふるさと納税返礼品にも選ばれました。横浜赤レンガ倉庫で毎年2月に開催(昨年は中止)の「ヨコハマストロベリーフェスティバル」には仲間たちと出店。完熟イチゴを持ち込むと「横浜のイチゴだ」と注目されました。さらに昨年、大手旅行サイトで、人気のイチゴ狩り施設として受賞し、栽培にも力が入ります。
大川裕司さん 緑区鴨居
「直売所に並ぶ野菜の中で、自分だったらどれを選ぶか。見た目や大きさ、数量など、消費者に好まれる荷造りを心掛けている」と話す大川裕司さん。50アールほどの畑で露地野菜15~20品目を生産し、JA「ハマッ子」直売所に出荷しています。「採算性よりも品質重視している」という言葉の通り、作業場には形や大きさのそろった美しい野菜が並んでいます。
“質の良い野菜作り”に対するモチベーションを高めるため、大川さんはJA野菜部の持寄品評会に積極的に出品。「最初は『参加することに意義がある』と考えていた。当時は全く入賞できず、次第に『参加するからには良いものを出そう』という気持ちに変わった」といいます。先輩農家やJA技術顧問からの教えを頼りに栽培技術を高めた結果、今ではたびたび上位に名を連ねるように。「自分の野菜を評価してもらえることは、生産意欲と品質の向上につながる」と笑顔を見せます。
農作業は、妻・孝子さんとの二人三脚。大川さんの就農を機に、孝子さんも農業を手伝うようになり、今では接ぎ木や摘果作業などで繊細さを発揮しています。「妻がいれば2人分以上の力が出せるが、自分1人では4分の1程度のことしかできない。内助の功は絶大だよ」と感謝を口にします。周囲への感謝・尊敬の気持ちを大切にしている大川さん。「皆さんの支えがあるおかげで、ここまでやってこれた」という言葉には、温かな人柄が表れています。
角田雅久さん 栄区上郷町
栄区はかつて鎌倉郡だった名残から、鎌倉時代の史跡も町に数多く点在しています。角田雅久さんは昔からの引き売りや直売での対面販売を大切にし、家の近くで新鮮野菜が買えることを消費者に伝えています。非農家育ちという同じ経歴の娘婿・泰蔵(たいぞう)さんと共に農業に励み、日々奮闘。食農教育や食品ロス問題の関心が高く、次代を担う子どもたち向けの青空授業や子ども食堂へ野菜を提供するなど、地元の食を支えるために尽力しています。
管理する畑は70アールで、取材した11月はホウレンソウやダイコン、長ネギなどの冬野菜が収穫期を迎えていました。角田さんはJA野菜部本郷支部の支部長も務め、2年前からは近隣住民にもっと地場産の野菜を食べてもらいたいという思いから、部員4戸とともに毎週水曜日に本郷東支店の前で直売を始めました。消費者へは評判が口コミで広がり、地産地消に一役買っています。「集客には苦労したが、職員の協力もあって今では開店前から行列が出来るほどになった」と笑顔を見せます。
上郷町は宅地化が進み、農地は減少傾向。その一方で、住民からの「緑を守ってほしい」という声も根強いそうです。角田さんはここ数年、小学生向けに食農教育にも力を注ぐようになりました。「トマトはどうやってできるのか」「この種子から何の野菜ができるのか」など児童の好奇心は無限大で、毎回質問攻めにあっています。「子どもたちにとって農業が当たり前にある環境を残したい。私自身も教えられることも多く、この時間があるからこそ、農業はやめられない」と、目を輝かせます。
村田敦さん 都筑区仲町台
村田敦さんは、農業に打ち込むかたわら、DJとしても活動する「DJファーマー」です。日中は小松菜とホウレンソウを市場出荷する実家の村田農園に従事しながら、休場日の前日や早朝・夜間などに時間を捻出し、自身が主体となって西洋野菜を生産し直売。村田農園の一部門として、「&ARTS FACTORY」という自身のブランドを設立しました。畑の一画に無人直売所を設置し、外観はアメリカで見たマルシェをイメージ。若い人にもアピールするため、リヤカーやコーヒー豆の木樽で雰囲気を演出します。販売日や品目は、自身のインスタグラムで情報発信しています。
隙間時間に村田さんが手掛けるのは、ルッコラ、パクチー、ラディッシュ、ビーツ、カーリーケールなどの西洋野菜。地元飲食店の依頼で、ラディッキオという葉菜類のイタリア野菜にも挑戦中です。農作業は基本一人。堆肥散布も畝立てもマルチ張りも手作業の重労働ですが、「お客さんが待っているのでがんばれる」と、疲れを感じさせません。販路は自身の直売所と、JA「ハマッ子」直売所メルカートきた店や一括販売への出荷が中心。IKEA港北や都筑区役所での都筑野菜朝市にも出店します。
村田さんは大学在学中からDJを始め、「SELECTOR ARTS」というDJネームでレゲエのミックスCDを何枚もリリース。卒業後に就農し、その間も音楽活動を続けていましたが、本場のニューヨークでプレイしたいという夢が捨てきれませんでした。留学を決意し、5年間の武者修行。帰国後も実家を手伝いながら、音楽中心の生活を続けてきました。40歳を目前に一線から退くことを考え始め、DJは趣味にとどめて、本気で農業と向き合う覚悟を決意。現在DJの仕事は月2回程度で、9割は農家の顔です。「DJでは、この曲の次にどんな曲が来たらお客が喜ぶかを考える。人を楽しませたい気持ちは農業でも同じ。いつか畑で農業と音楽がクロスするフェスができたら」と話します。
秋山良太さん 瀬谷区上瀬谷町
今年5月に就農した秋山良太さん。上瀬谷農業専用地区にある畑で、祖父母と共に農作業に従事しています。栽培技術やノウハウは勉強中ですが、地元野菜をPRするため、就農前からインスタグラムを活用した情報発信に取り組んでいます。アカウントのフォロワーは4600人を超え、家庭菜園や食に関心の高い人に好評。「普段食べている野菜の栽培過程を知らない消費者も多い。『食』を通じて農業や農家にも目を向けてもらえればうれいしい」と期待を込めます。
秋山さんが特に力を入れているのは、うどの栽培。以前は、上瀬谷通施設跡地の地下室(むろ)で栽培していましたが、同施設が国に返還され室が使えなくなったことで、露地での土ふせ栽培に変更。「相模うど」として生産する一方で、株数を大幅に減らしていました。しかし、「畑で育つうどを見て、子どもの頃の記憶がよみがえった」といいます。暗い室の中で真っ直ぐ伸びる純白のうどに、当時の秋山さんは強い興味を持っていたそう。「代々栽培してきた根株を絶やしたくない」と、現在はハウス栽培の「横浜瀬谷うど」生産に向け、準備を進めています。
地元農業や農産物の情報発信ツールの一つとして、今年から「農カードProject」にも参加。この取り組みは、生産者の名前や顔写真、生産物などを掲載したカードを商品に同梱し、農業をPRするものです。全国的に広がりつつありますが、県内での登録者は少数だったことから、「皆とは違うことやろう」と参加を決めました。登録にあたり、農園のネットショップも開設。本格的な運用に向けて知人に協力してもらい、試験販売に取り組んできました。秋山さんは、「カードを活用し、うちの野菜をより多くの人に知ってもらいたい」と、目を輝かせます。
矢島久道さん 栄区田谷町
「農業の知識はほぼゼロの状態で就農し、今まで全て独学でやってきた」と話す矢島さん。実家は元々、米を主力に生産していましたが、当時の減反政策で作付け面積の減少を余儀なくされ、父が野菜の栽培を始めたといいます。その頃の販路は市場出荷のみだったため、品目数は多くありませんでした。矢島さんが就農してからは、直売所での販売に向けて品目を増やし、現在は90アールの畑で年間80品目ほどを手掛けています。
矢島さんが始めた品目の一つがトマト。1年目の出来は上々でしたが、2年目に葉の変色や枯れの症状が出てしまいました。病害虫や生理障害の知識が少なかったため、原因が分からずJAなどに相談。褐色根腐病だと判明し、土壌消毒を勧められました。この頃に出合ったのが、「漢方農法」。この農法で使う肥料や薬剤は、人が服用する漢方の煎じカスなどから作られ、人体への害がないのが特徴です。「自分の子どもにも、安全な野菜を食べさせてあげたい―」。そんな思いも重なり、漢方農法を導入しました。
矢島さんの作る野菜は、健康意識の高い人やオーガニック野菜に関心を持つ人に好評。直売所の常連客の中には、自然食品専門店や飲食店を営む人もいます。「うちのモットーは、『地産地消』と『旬食旬菜』。その時季にとれる健康な野菜を、手頃な値段で売っている。儲けは少なくても、お客さんによろこんでもらえるのがうれしい」と笑顔を見せます。来店客とのコミュニケーションも楽しみの一つだといい、直売所には明るい話し声と笑顔が溢れています。
大曽根達也さん 青葉区寺家町
里山の風景が豊かな農環境を特徴づける青葉区寺家町は、果樹栽培が盛んな地域。園の目印になる青い防鳥網が町に溶け込んでいます。その中に「浜なし」を主力に栽培する「大曽根園」があり、大曽根さんは長男・裕樹さんと共に農業に励んでいます。最新技術の導入には常にアンテナを張り、最近では市内でもいち早く黄色LED(発光ダイオード)防蛾灯を設置。教科書通りに管理されたほ場にはJA横浜の技術顧問も一目置いています。
現在、田畑合わせて80アールを管理し、そのうち梨は30アール。「幸水」「あきあかり」「豊水」など5品種をリレーさせ、今年の収穫は9月中旬ごろまで続きました。「基本に忠実がモットー。そこから自分に合った栽培スタイルに改善している」と話し、行き届いた管理が評価されて平成21年度には神奈川県果樹立毛共進会で県知事賞、昨年は2位を受賞。園の評価を高めました。北尾一郎技術顧問は「樹勢管理や着果のバランスが良い」と称えています。
次代につなぐため、樹の改植も進めています。収量の減少を抑えるため、他県の果樹園を参考にして老木の間に2年間育成した苗を植える方法を採用。この苗は間伐予定樹として育て、植え替えた若木が結実するまでの代わりを務めます。「この方法なら収量が確保でき、お客さんをがっかりさせずに毎年販売ができる」と話します。2年前には長男の裕樹さんがUターン就農。「まだまだ未熟だが、やる気であふれている。自分の技術を全て伝えていく。来年で70歳になるので、そろそろ楽がしたいな」と笑顔を見せました。
籾山広子さん 瀬谷区下瀬谷
瀬谷区下瀬谷を通る環状四号線の左右に広がる一団の農地。その一角に、籾山さんの「下瀬谷みのり農園」があります。女性一人でもできる農業を――、選んだのはブルーベリーの摘み取り園でした。19㌃の園で、約300本の管理をほぼ一人で担います。収穫期間が長くなるよう、品種は20種類以上をリレー。大粒のハイブッシュ系が約100本。残りは、7月から8月に摘み頃を迎えるラビットアイ系。週5日、観光農園としてお客を迎える他、直売やJA横浜「ハマッ子」直売所瀬谷店などに出荷します。
籾山家は元々、芝の生産が家業。昭和44年から生産を始め、最盛期は2㌶近く管理していたといいます。しかし、人工芝の普及もあって、平成以降の需要は減少の一途。高齢の母と2人だけで続けるのは難しく、生産を止めることにしました。だが、農地は管理しなければなりません。一人でできる農業を考え始め、漠然とイメージしたのがブルーベリーの観光農園。「作業負担が少なく、収穫はお客がしてくれる。これなら一人でもできそうだ」――始める前はそう思ったそうです。実際、植え付けから3年間は株を大きくするために実を成らせないので、「これなら楽だ」と感じていたとか。その後に試練が待っているのですが…。
何十年も芝を生産した畑が、弱酸性の土壌だったことが幸いしました。ブルーベリーは酸性土壌が適しているからです。しかし、誤算もありました。寒冷地に向くハイブッシュ系の苗木が、気候に合わず50本ほど枯れてしまいました。最大の誤算は管理の大変さ。冬場の剪定に4カ月かかります。乾燥に弱いブルーベリーは十分なかん水が必要ですが、畑に井戸はありません。軽トラに積んだタンクに水をため、手作業で地道にまきます。家族の協力があってこそできる一人農業。力仕事は男手を借ります。母には除草、長女にはホームページの運営やインスタグラムでの情報発信と、手が回らない部分を補ってもらいます。籾山さんは、「作業に追われる毎日だが、始めて良かったと今は充実している。今後はラズベリーとブラックベリーの摘み取りも視野に入れたい」と、その表情は充実感に満ちていました。
鈴木勇次さん 金沢区釜利谷
金沢区釜利谷地区の3方向が山に囲まれた谷戸の一角に、ハウスを構える鈴木さん。周辺には湧き水が水路となって流れ、以前は水田や蓮田でした。ハウス5棟15アールを含む計38アールを一人で担い、トマトやジャガイモなど年間25品目を生産しています。主力の大玉トマト「桃太郎ファイト」を土耕栽培。「釜利谷トマト」の愛称で親しまれ、隠れた名産品として人気です。父が残した施設を生かし安全、安心でおいしい野菜作りに力を注いでいます。
土へのこだわりが人一倍強いため、父の代から苗を仕入れる愛媛県の種苗会社へ出向き、栽培環境や土壌を研究しました。さらに、新潟県魚沼市で有機栽培のコシヒカリを生産する農家からは、魚粉の使い方を取得しました。トマトの収穫期が過ぎると、総合土壌消毒材を散布し、表面をビニールシートで20日覆って太陽熱消毒を実施。株の過剰な成長を促す窒素分を減らすため、土壌洗浄もします。仕組みは隣接した水路をせき止め、地下の土管を通しハウスに水を導き、水田状にして土を洗浄します。
トマトはハウス2棟10アールに、約1,000株を定植。収穫は、4月から7月までと11月から翌年2月までで、棟ごとにずらします。2、3段目のトマトが赤くなる頃には土壌の水分を切り、糖度を高めます。
JAの「ハマッ子」直売所メルカートいそご店、本郷店に出荷する他、自宅前の直売所で販売。「お父さんの味に近づいたわね」と父の代からの常連客の言葉に、「親父の味は越えたと思ったんだけどな」と鈴木さん。その表情には自信がみなぎっています。
土志田秋夫さん 港北区鳥山町
町の園芸店として、地域住民に親しまれている土志田園芸店。自家生産の花苗はもちろん、切り花やフラワーアレンジメント、肥料などを幅広く取りそろえ、家族で店舗を切り盛りしています。三男の秋夫さんは、JA花卉部に所属し、花苗の生産に力を注いでいます。元々は、父の手伝いをしながら栽培に携わっていましたが、父が体調を崩したことで直接ノウハウを学ぶことができなくなってしまったため、先輩農家のもとに通い、種まきから水やり、施肥のタイミングなど基礎から勉強し直しました。
現在、4棟のビニールハウスと8区画に分けた温室5棟で、年間10品目ほどを生産。その他、野菜苗も生産しています。主力はニチニチソウとシクラメン。ニチニチソウは、昨年まで3回に分けて出荷していましたが、今シーズンから4回に挑戦。「花苗が減ってくる時期でも、店頭に品物を並べられるようにしたかった」と話します。栽培面で気を配るのは、水やり。毎朝、土の表面が湿る程度に抑え、雨の日には1日空けています。「水のやりすぎは、徒長の原因になる。締まりの良い苗を出荷できるようにしている」と笑顔を見せます。
同店では、花卉農家では珍しい個別宅配も受けています。「花苗や野菜苗は、一度にまとめて購入するお客さんも多いですが、移動手段が車でないと持ち帰るのは大変。電話やFAX、来店時に注文を受けている。基本的には近隣への配達が多いですが、エリアは指定していない」と言います。横浜産の花や園芸の魅力を多くの人に知ってもらうための苦労を惜しみません。「家族皆で協力しているからこそ、できること。これからも、より高品質な花苗・野菜苗の生産を目指し、努力していきたい」と目を輝かせます。
餅田哲也さん 神奈川区羽沢町
令和2年にかながわブランドに登録された「よこはま羽沢レタス」。神奈川区の農家7戸からなる羽沢洋菜出荷組合が手掛けています。3年前、メンバーの餅田家に加わった哲也さんは、義父・幸彦さんと二人三脚で農作業に励んでいます。作付けする菅田・羽沢農業専用地区は、みなとみらいや新横浜のビル群を望める場所にあり、横浜市中央卸売市場に近いことが強み。担当者との連携が密に取れ、鮮度・品質の良い作物を安定出荷し続けることで高い評価を得ています。
栽培で最も大切なことは温度管理。定植後はトンネルで保温し、外気が暖かくなり始めたら換気をして結球を促します。冬場は土壌の乾燥にも注意を払い、かん水で凍害が起きるので、朝方に水気が残らないようにし、畑はレタスの後に緑肥、キャベツと順に作ることで連作障害が起きない工夫をします。 全量が市場出荷で、〝売り〟は鮮度。日の出と共に収穫して7時には「羽沢レタス」と書かれた段ボールで市場に納めているので、日中にはスーパーに並び、品質を維持したまま消費者に届けることが出来ます。
暖かくなり始めた3月中旬、餅田さんの畑では「よこはま羽沢レタス」の収穫作業に追われていました。市場から「産地の出荷量が少ない時期に出せないか」と要望を受け、播種・定植時期をずらして栽培に取り組んだことで例年より2週間早くスタート。餅田さんは「市場担当者が売るために様々な提案をしてくれるので、私たちは作ることだけに集中できる」と話します。管理する畑は1・5㌶で、そのうちレタスは30㌃。収穫は4月末ごろまで続き、早生の「Jブレス」、温度変化による変形球が少ない「スプリングアース」をリレーさせます。
石井直樹さん 栄区笠間
石井造園は昭和41年に、父親が設立。石井さんは、建設関係の専門学校を卒業後、東京・杉並の造園会社で5年間修業し、25歳で石井造園に入社しました。工事現場で経験を積み、29歳から営業と経営に携わるように。年齢が若いことで競合他社から軽く見られることもありましたが、持ち前のポジティブ思考で道を切り開いてきました。父親の体調が思わしくなく、早期に代替わりを望んでいたため、38歳で社長に就任。仕事上で父親と衝突したことは一度もなく、潔い引き際に、石井さんは今も敬意を抱いています。
石井造園の強みは、社員に樹木医がいること。木が健全か、衰弱しているかが、いつでも診断できます。科学的な根拠を提示できるよう、「ピカス3」という装置を導入しました。樹木にセンサーを取り付け、センサー間の音波の速度を計測し、樹木断面の腐朽度合いを診断。倒れる危険性や、今後の処置の必要性など、予測に役立てます。個人邸の庭や外構工事では、オーナーの希望を実現できるよう、綿密に打ち合わせをして作業をすすめます。こうした社員の成長した姿を見ると、石井さんは仕事の達成感を感じるといいます。
石井さんが社長就任後、経営理念に「幸せを共有する企業」を掲げ、体系的にCSR(企業の社会的責任)に取り組みます。緑化に携わる事業者として、環境問題への取り組みは責務と考え、市民への苗木の無料配布を10年以上続け、累計で7千本ほどに。昨年は県内で急拡大するナラ枯れの発生場所を、市民から寄せられた情報を元にWeb上で確認できるマップ作りにも取り組みました。こうした活動が高く評価され、市のSDGs認証制度「Y-SDGs」の第1回で、最高ランクの最上位認証を受賞。「永続的に経営していくには、未来から必要とされる企業であるべき。今回の認証を励みに、CSRをSDGsのゴールと関連づけて展開したい」と、未来を見据えます。
落合勉さん 緑区小山町
中村園の園主・落合勉さんは長男の憲保さんと共に、約1.2ヘクタールの果樹園で梨とブドウを生産します。主力の梨栽培では1年ほど前から園の一部21アールで「ジョイントⅤ字トレリス樹形(JⅤ―トレリス)」を導入。これは主枝同士をつなげ、側枝がⅤ字で上60度に伸びる樹形で、今までの平棚栽培で見られる水平にした枝から均等に花芽を出すというセオリーを180度変えた県の特許技術です。果実の収量を左右する剪定作業では上向き姿勢から解放され、作業負担の軽減につながります。
梨は主力の「幸水」や「豊水」をはじめ、8品種を栽培。そのうち、JⅤ―トレリスで仕立てる品種は「豊水」や「あきづき」の他に、花芽が安定的に着く「凜夏(りんか)」、極早生種の「香麗(こうれい)」など、新品種にも採用。収穫時期をずらし、長期間の収益を見込みます。主枝の本数で区分される仕立て法も時代によりさまざま。以前からの4本仕立てや3本仕立ての樹は減らし、2本仕立てがメイン。その他に梨栽培では珍しい上から見ると主枝が「H」の形になるH型主枝の樹形も取り入れてきました。
恩田川流域にある小山町は、昭和40年以前から梨栽培に取り組んでいた地域の一つで、落合さんは横浜北農協当時の初代果樹部長であった父の背中を見て育ちました。元々、自動車関係の会社員でしたが、父が体調を崩したことで就農を決意したといいます。
周辺果樹農家11戸による小山果樹組合では、JR横浜線・中山駅前直売所で共同販売し、落合さんも出荷者の一人。シーズンには大好評です。「昔から農家同士の結びつきが強く、仲間の存在は励みになる」と目を細めます。
藤又琢さん 旭区上白根町
非農家の会社員から心機一転、野菜農家の道へ進んで3年目の藤又さん。「特に野菜が大好きというわけでもなかったけれど、地元旭区で見た畑の風景が頭に残っていた」と話します。新規就農までには、農業技術の習得、農地の確保、営農計画書の作成・審査など、さまざまな手続きがあり苦労する面も多かったそうです。しかし、藤又さんは「農業は、長く続けていくという意思がなければ、手を出してはいけない世界。数々のハードルは、安全・安心な食や農業を守っていくために必要なものだと気付いた」と振り返ります。
現在、8カ所・約1.5ヘクタールの畑で、兄・永さんと共に年間20~30品目の野菜を生産。中でも、周年栽培の小松菜、夏のナス、冬の長ネギが主力品目です。「その時期にできるものしか作らない。地元の消費者に旬を味わってもらうことこそが本当の地産地消だと思う」と露地栽培にこだわります。これらの野菜は、地元スーパーやJA横浜「ハマッ子」直売所メルカートつおか店、学校給食、飲食店などに出荷します。最近では、コロナ禍を受けて販路を分散させるため、ネット販売もスタートさせました。
「就農前の農業のイメージは、『一人で黙々とやる仕事』だったが、実際は横のつながりがとても広いことに驚いた」と話す藤又さん。先輩農家や出荷先からのつながりで得た人脈を生かし、さまざまな場面で地元農業のPRに力を注ぎます。大学生が取り組む地元野菜の直売や商品開発に協力したり、子どもや障害のある人たちの収穫体験を受け入れたり―。イベントなども声が掛かれば、積極的に足を運びます。「たくさんの人に畑に来てもらい、自分のように農業に興味を持つ人が増えればうれしい」と思いを語ります。
生駒順さん 戸塚区小雀町
戸塚区小雀町にある生駒植木㈱は、設立から1世紀の歴史があります。生駒さんは父から継いだ会社を、これまでの慣習に捉われずに発展させ、個人邸の庭造り、マンションや公共施設の緑化事業に携わり、地域に貢献。小学生向けに緑育も始めました。最近ではJA共済のCMに出演したことでも知られ、現在はJAの植木部長を務め、横浜産植木の普及にも力を注いでいます。
植木は流行の移り変わりが激しく、最近はアオダモや常緑ヤマボウシが人気。取引先の要望に全て応えられるようアンテナを高く張り、多品種を揃えるために東北から九州まで仕入れに行っています。庭木よりも緑化樹が中心で300品種、3万本を15ヘクタールの圃(ほ)場で管理しています。多様なニーズに対応できることから取引先からの信頼も厚く、大きな事業として横浜市と5年前から打ち合わせを重ね、令和2年に全面供用を開始した横浜市役所新庁舎の緑化にも協力しました。
現在、取り組んでいるのは廃棄物の再利用を図る静脈産業の確立。造園やメンテナンスの際に出る剪定枝や大きく生育しすぎて売れなくなった木を捨てずにたい肥にして、圃場で有効活用することを目指しています。他にも、生駒さんが発起人となり、全国にいる日本植木協会の組合員と共に小学生向けに植木苗の配布を始めました。「誰もが経験してきたアサガオ栽培の代わりにもなる存在にしたい」と、子どもの頃から植木と親しめる環境を提供しています。
山本忠夫さん 港北区新吉田町
港北区新吉田町は梨の産地として古い歴史を持つ地域。山本果樹園は、第3京浜道路都筑インターチェンジから車で約2分の立地で、夏はナシとブドウ、冬はキウイフルーツを生産・直売します。園主の山本忠夫さんは、市内でのキウイ栽培の先駆者的存在。独自に剪定技術を考案し、大玉のキウイづくりを目指して日々向上心を燃やしています。
キウイフルーツの木は25本で、主力の「ヘイワード」の他、果肉が黄色の「紅妃」など4品種を栽培。収穫は10月下旬から11月中旬まで、品種をリレーします。糖度が6度を超えると収穫適期で、サイズごとに冷蔵庫で保管します。販売は直売と宅配のみ。直売日から逆算して追熟させ、14度まで糖度を高めます。
山本果樹園としてホームページを開設し、日々の農作業を日記形式でアップ。忠夫さん自身が文章を書き、写真も撮ります。今年は巣ごもり需要も追い風となって、梨の販売時期には1日のアクセス数が400を超える日もあったといいます。
また、JAの果樹部副部長を務め、同部新田支部長とキウイフルーツ班班長を兼務する多忙な日々。横浜産キウイフルーツの知名度向上に尽力します。
小川喜良さん 神奈川区菅田町
神奈川区菅田町にある(有)古屋植木は、建築士やデザイナーなど流行をつくり上げる顧客の需要に応え、個人輸入により日本では珍しい樹種を取り扱っています。4ヘクタールの圃場(ほじょう)で、これまで低木植物や多肉植物、大木など約3,000種類を扱ってきました。時代の流れとともに移りゆくニーズに応え続けています。
個人輸入を始めたのは30年ほど前。以降、仕入れ時は仲介業者を入れずに現地へ渡航します。山に入り生育状態を確かめるのが、経営者の小川喜良さん流です。仕入れる国は、オーストラリアやスペイン、イタリア、モロッコなど。今では小川さんや長男と共に、従業員も交代で同行します。こうした積み重ねで、顧客との信頼を築いてきました。
輸入の第一条件は、日本の露地で育つもの。「たとえ顧客のニーズに合っていても、日本の環境に合わなくては意味がない」と、自身の経験や各国の植木職人とも頻繁に情報交換し、選び出します。人とは違うものを求める傾向にある現代だからこそ、アンテナを高く張り、多様なニーズに応えています。「求められる植木はさまざま。その植物がどこにあろうとも、求め続けていく」と、今後は南アフリカにも目を向けます。
川戸直樹さん 戸塚区東俣野町
就農2年目の川戸さんは、妻の佳菜子さんと共に将来の営農について考え、就農初年度から販路や栽培品目の見直し、観光農園化などに取り組んでいます。父の代では、ホウレンソウと小松菜が主力で、販路は市場だけでしたが、農業収入の増加を目指し、JA横浜「ハマッ子」直売所や地元スーパーへの出荷も始めました。現在は、年間18品目の野菜と果実を生産しています。
栽培品目を決める際に重視するのは、「よく売れる品」であること。出荷先の担当者から、購入客の動向や店側の要望を聞き取り、参考にしています。近年では、イタリア野菜など珍しい野菜も注目されていますが、流行に左右されない「定番野菜」を基本に、安定的な出荷を目指します。中でも、キュウリは売れ行きが良いため、ハウスを活用して初夏から秋ごろにかけて段階的に栽培しているといいます。さらに今年は、秋どりのトウモロコシの栽培にも挑戦しました。
野菜栽培の傍ら、ブルーベリーの養液栽培にも励んでいます。「生産現場に足を運んでもらい、自分たちの作物のファンを作りたい」と、今年6月に観光農園をオープンさせました。柔軟な発想で、さまざまな挑戦を続ける川戸さん。最近では、新型コロナウイルスの影響で市場の状況が目まぐるしく変化していることを受け、販路の選択肢を増やそうと、農産物のインターネット販売もスタートさせました。「5年先、10年先に何が起こるか分からない。将来を予想しながら、今できることをやっておきたい」と話します。
荏原庸二さん 港北区高田町
港北区高田町の農業振興地域は、みなとみらいや川崎市内のビル群を見渡せるほどの高台にあります。風を受けやすくナスの栽培には不向きな立地ですが、その一角で荏原さんはナス作りに挑んでいます。定年後に就農し今年で10年目。1年ごとの栽培記録を保存管理しているので、これまでの経験を翌年に生かし、栽培管理や防風対策を徹底。荏原さんの畑は長年の改善の跡が見えます。
現在、7アールで「千両2号」を栽培。4月中旬に接ぎ木苗400本を定植し、3本仕立てを採用。支柱のV字角を約50度にすることで太陽光が入りやすくし、ナス紺色が綺麗に出るようにしています。大敵である風の対策を厳重にするために周囲を樹木で囲い、内側にソルゴー、防風ネットと三重にします。棚にキュウリネットを張り、枝に加え、へたまで光分解テープで固定することで葉との擦り傷を徹底的に抑えています。
取材した7月下旬はナスの収穫が最盛期を迎え、早朝から収穫作業に追われていました。夏場に枝を大きく切り戻す更新剪定をせずに収穫は11月まで続けます。出荷は専らJAの一括販売で、不定期で「ハマッ子」直売所メルカートきた店にも出しています。荏原さんは「まだキャリアは浅い。今後の改善点は病害虫の防除がどうしても後追いになってしまうので、予防を徹底したい」と、これからもナスと向き合い続けます。
新川一郎さん 旭区今宿南町
旭区を東西に走る八王子街道から奥に入った今宿南町には、宅地化の波が及ばない昔ながらの農景観が今も残ります。この地で農業を営む新川一郎さんは、会社経営を辞めてUターン就農し、わずか3年で耕作面積を3haまで拡大しました。品目をキャベツ・ブロッコリー・長ネギの3つに絞り、農作業の機械化を進めながら、長男・次男とともに精力的な生産に取り組んでいます。
長ネギの出荷調整作業は機械を使い、根葉切り・皮むき・結束までを流れ作業で行います。将来を見据えて積極的に設備投資をしているところで、長ネギ専用で播種機1台、土寄せ機2台、根葉切り皮むき機(写真)1台を所有。収穫は手作業ですが、乗用式のネギ掘り機を発注中で、作業の機械化を一層進める計画です。JAの一括販売と、「ハマッ子直売所」メルカートつおか店にほぼ全量出荷しています。
新川さんは元々、石英ガラスを加工する会社を経営していましたが、父親の高齢化や、貸していた農地にゴミを入れられたことなどが契機となって就農を決意。会社を売却し、農業の道へ足を踏み入れました。当初の労働力は自身だけでしたが、その後、長男が農業を志したことで、本腰を入れて農業経営に取り組み、規模拡大を図ってきました。さらに、自身と長男は露地に専念し、今年から農作業を手伝うようになった次男にイチゴの施設栽培をさせるため、育苗用と栽培用のハウスを新設。新川家の新たな挑戦が始まっています。
田丸哲夫さん 都筑区池辺町
市内でも農家が多く、農業が盛んな都筑区。池辺と東方、二つの農業専用地区に挟まれた池辺町北部で「たまる花園」を営む田丸哲夫さんは、地域を彩る花苗を生産しています。同区をはじめ、隣接する緑区と港北区の街路や公園の花壇苗を提供し、住民の生活に潤いを与えています。6棟のハウス6アールと露地10アールで、花苗と野菜苗をそれぞれ20品種ほど生産。年間約10万ポットを栽培し、4割を地域の花壇に、3割を近くのJA「ハマッ子」直売所メルカートきた店、3割を市場に出荷しています。
パンジーやマリーゴールド、ペチュニア――。3区に提供する花壇苗は、ほとんどが田丸さんの自宅から10キロ圏内で、見て回れる距離に咲いています。心掛けているのは、花を目にした人の心が華やぐような色と、長く咲き続ける丈夫さ。「花の魅力をたくさんの人に知ってもらいたい」と、花を愛でる町づくりに力を注ぎます。植物を育てる子どもの心を大事にしたいと、近隣の小学校に野菜苗を提供し、育て方を教えに行くことも。「子どもたちが期待を胸に苗を買いに来てくれる。うまく育つよう、丈夫な苗を渡してあげたい」と、未来を担う子どもの成長を見守ります。
小学生の頃から父の野菜栽培を手伝い、「将来は農家を継ごう」と思いながらも、自分の道を開きたいと、花卉の道に。坪単価の高いパンジーを主力に始め、家庭菜園の需要を受けて野菜苗にも広げていきました。現在、作業は妻の真依子さんと二人で力を合わせています。花の見栄えやお客さんの反応など、妻からのアドバイスは、栽培に欠かせません。「一人より二人」と、息を合わせて取り組む夫婦の温もりが、苗にも伝わっているようでした。
吉原翔太さん 戸塚区東俣野町
藤沢市との市境に位置する戸塚区東俣野町。国道1号線から境川に向かった先には広大な農地があり、農業が盛んに営まれています。ここでイチゴ栽培を手掛ける吉原さんは、自身が経営する観光農園「吉原いちご園」を盛り上げようと、妻の信枝さんと共にさまざまな挑戦を続けています。
同園は、例年1~5月にイチゴ狩りを受け入れ、1シーズンで約1万3000人が訪れるほどの人気を集めています。しかし、「イチゴ栽培は、この時期以外の収入がゼロ。夏場の育苗期間中は経費がかかる一方で、何か収入につながるものがないか考えていた」と吉原さん。そこで、自分たちのイチゴを使ったメニューを提供するキッチンカーに目を付け、今年から営業をスタートしました。
看板商品は、冷凍保存したイチゴを、牛乳や練乳と合わせたドリンク「ストロベリーミルク」。レシピは、“イチゴ農家のまかないスイーツ”をテーマに、信枝さんが考案しました。この他に、ピンクと緑の2色でイチゴを表現した綿あめや、イチゴ狩りをしながら楽しめるクレープも販売しています。
キッチンカーは、車もメニューも「インスタ映え」を意識。真っ赤な車体とイチゴを模したサイドミラーが人目を引き、記念写真スポットとしても人気を集めています。
「自分は栽培のプロを目指し、妻には農園の雰囲気づくりを任せている」と吉原さん。皆が笑顔になれる農園にするため、若手農家ならではの柔軟な発想を生かし、改善を重ねています。来園客の喜ぶ顔や、「おいしい」という言葉を糧に、吉原さん夫妻はイチゴ栽培に力を注いでいます。