JA横浜_AgriVOL.248
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父の経営を受け継ぐやすてるほじょうしょうちゅうや層ビル群が見渡せる圃場で、風通しのよい地形を利用してコウヤマキとヤマモモを中心に植木を生産する。先代が築いた事業を大切に守りながらも、環境の変化にも柔軟に応えようと新たな品目の導入に積極的な小嶋康照さん。旺盛なチャレンジ精神で、将来を見据えた経営に挑む。港北区日吉の高台にある「正中屋」。新横浜やみなとみらい、都内の高みつばちゅうぼくばんぺいゆ家。当時はこうじを製造していた。昭のかたわら地元の公営団地で乾物や加工食品、酒類などを販売して現金収入を得るようになった。「正中屋」の屋号はこの頃から名乗ったもので、商売がうまくいくようにとの思いと、酒の焼酎をかけたという。切土により畑の土が野菜作りに向かなくなり、父・清さんが野菜から植木へと作目を切り替えた。業後10年ほど食品メーカーに勤めていたが、30歳代になり父の体調不良をきっかけに就農。それまでは、父の仕事を見ている程度で、専門的な知識はなかった。歴史は江戸時代にさかのぼる小嶋和30年代、康照さんの曾祖父が農業2代目社長の康照さんは、大学卒仕事のノウハウは父から学ぶ一方、県立かながわ農業アカデミーに通って基礎知識を習得。技術は県造園協会で知り合った経験豊かな先輩の教えを受け、身に付けていった。この仕事に就いて30年近くになるが、経験を重ねた今も、学ぶべきことは多い。時間を見ては参考書を開き、JA植木部の先輩や仲間の言葉に耳を傾ける。「植木の性質や育て方など、現場目線のアドバイスが一番勉強になる」という。植木の生産や管理は康照さんがほぼ一人で行い、軽作業や事務処理などは、妻・三葉さんがサポートする。圃場では中木を中心に多品目を育成するほか、オガタマノキやトキワヤマボウシなどポットで生産する。また、かんきつ類の晩白柚やミカン、レモンなども手掛け市場へ卸している。30代で植木の道へ40年代後半には、宅地造成に伴う新品種を取りそろえ環境変化に対応を港北区日吉本町小嶋 康照さん(60)濱農浪漫

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