Agri横浜 vol.224
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「祖父の代から漁師で、海の仕事に就くことが当たり前だった」と小山松一さん。自家消費用に野菜を作っていましたが、本格的に農業を始めたのは自身の代から。20年ほど前に柴シーサイドファームが整備されたことがきっかけで、区画整理が終わるまでの2、3年は青壮年部で畑を共有してJAの営農指導や、近隣農家からノウハウを学び、〝半農半漁〟を確立してきました。取材した9月中旬、柴漁港には朝4時半から「松一丸」と刻まれた小型トロール船に、出港準備をする小山さんの姿がありました。5時には仲間の船と共に、東京湾の沖合へ。長年の経験から身に付けた勘と仲間からの情報を頼りに、漁のポイントを見つけ出します。方法は底引き網漁。「タチ網」という入り口が縦横に大きく開いたものを使うため、海底だけでなくさまざまな深さで泳ぐ魚が入り込みます。漁港にはタチウオやスミイカ、マダイなど年間50種類ほど水揚げしています。小山さんが漁業の道に進んだのは26歳の時。当時、父と叔父が「力仕事を任せられる」と期待していましたが、最初の3年間は船酔いがひどく、寝ているのが仕事だったそう。胃を壊して入院までしてしまい、苦い思い出に。「今でもシケが10日ほど続くと体調が悪くなることもある」と話します。最近は後継者の育成にも注力。2年前にヘルニアを患い、船を降りるかを悩んでいたところに、親戚の子が弟子入り。減少していた水揚げ量もこれが転機に。「会社員時代の経験を生かし、若い子の自主性を大切にしている。作業効率も格段に上がった」といい、年始には過去最高の水揚げ量を記録。さらなる更新を目指します。❶❷❸❹❶現在は祭り事で掲げることが多くなった大漁旗❷停船後は後継者の窪田光希さんと共に活魚をすぐ市場へ。この日の水揚げ量は300㌔でした❸小山さん自慢の漁船「松一丸」❹柴漁港の9月の旬はタチウオ。特に江戸前寿司の職人から重宝されています柴町に漁業集落ができたのは1311年と伝わっているそうです。市内に正式な漁港は2カ所あり、両方が金沢区内。柴漁港の水揚げ量は令和2年度で460トンを誇ります。PROFILE金沢区柴町大学を卒業後、外食チェーン店に就職。数店舗で管理職を経験しました。家業の漁師を継いだ後は5年で独り立ち。農業にも力を入れ、農業委員も6年間勤めました。特集特集さん(63)自分の代で始まった半農半漁農業・漁業二刀流〜普段は見られない一面を紹介〜農地面積、農家戸数が県内1位を誇る横浜。生産物も野菜だけでなく、果樹、花き、米、植木、畜産などバラエティーに富んでいます。営農形態も十人十色。農業だけにとらわれず、活躍している方もいます。今回は3戸の農家を取材し、どのような経緯で今に至ったのか、話を聞きました。

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