Agri横浜 vol.212
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ょう大学を卒業後、父から植木業を継いだ小川さん。元々祖父は野菜と植木の生産をしていたが、父の代で植木に一本化。就農した当初は、生産だけでなく、庭先の手入れなどを行う造園も営んでいたが、「生き残るには形を変えていく必要がある」と海外の植木に着目した。「人とは違うもの」を求める傾向にある現代、多様なニーズに100%応えるため、周りの同業者が扱っていなかった個人輸入を平成元年に始めた。アンテナを高く張り、取引先のニーズに親身に応えていった。「時間も費用も多くかかったが、かじ取りは自分しかいなかった」と振り返る。目標や参考になる人がいたわけではない。そんな中で、自身の思い描く形を確立するために歩み出した。植物は「生もの」。現物を見て、触れて、扱って、評価してもらうことが基本となる。これにのっとり、仕入れ時は仲介業者を入れず、現地まで足を運ぶのが小川さん流。オーストラリアやスペイン、イタリア、モロッコなどの各国を訪れた。現地では山に入り、植えてある状態を確かめてから仕入れを決める。「以前は産地を固定していたが、今は場所に関係なく求められたものを提供している。今後は南アフリカからの仕入れも考えている」と話す。4㌶の圃ほ場じで約3000種類を扱ってきた。同じものは一つとしてない植物を仕入れるのは、決して容易ではなかった。現地では害虫処理をした記録があっても、船で40日間ほど運んだ後に状態が悪化し、日本で廃棄処分せざるを得なくなるケースもある。「運も味方に付けないとやっていけない」と苦労を話す。世界に目を向けた古屋植木小川喜き良よしさん(67) 神奈川区菅田町自ら現地へ出向く一筋縄ではいかない輸入自然の形に近い植物の需要が高いと説明 神奈川区の西側に位置する菅田羽沢農業専用地区は、朝露光るキャベツ畑が一面に広がる丘陵地帯。東側には新横浜やみなとみらいの高層ビル群を望み、西側には富士山がそびえる。この地で小川さんが営む「(有)古屋植木」は、父から継いだ植木業を発展させ、輸入により日本では珍しい品種を数多くそろえる。建築業界の専門家を主な顧客とし、時代の流れとともに移りゆく多様な要望に応え続けている。自ら開拓した植木の輸入時代の多様性に品ぞろえで応える

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