JA横浜_Agri横浜Vol.271
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制作会社に15年間勤めていた。農業とは無縁の仕事で、唯一の関わりといえば自宅で野菜のプランター栽培を楽しんでいたことくらいだった。農業への道を志す一つのきっかけが、平成23年の東日本大震災。「被災地で知り合いの農家が近隣住民に井戸水を配る姿を目にした。この時、生きていく上で最も重要な『食』に対し、自分の無力さを感じた」という。が、退職の決断ができずにくすぶっていた。その後、新型コロナウイルスの感染拡大により物流や食生活に大きな影響が出た。「食べ物の輸入が止まれば、食生活に問題が生じる。日本では農家の減少が進んでいるものの、農作物を作るポテンシャルはある。できる人がやるべき」と、脱サラ河瀨さんは専門学校卒業後、映像この頃から農業の勉強を始めたを決意。地元である横浜市で認定新規就農者の認定を受け、泉区の飯田地区や藤沢市内に畑を借りて農家としての一歩を踏み出した。しかし、農外就農と親元就農の差を感じることに。親元就農の場合、農地や農機具などを先代から受け継ぐことが多く、農家同士の関係性も構築されている。これに対し、農外就農者には周囲から厳しい目が向けられる。借りた畑も好条件の場所ばかりではなく、環境整備にも苦労した。「農業は一人でやる仕事と考える人も多いが、JA組織への参加や地域との調和が大切。JAの部会に加入し、地元農家と気軽に意見を交わせるような関係づくりに努めてきた。JA野菜部や青壮年部の仲間にも助けられている」と話す。現在、9カ所・92㌃の農地を1人で災害が人生の転機失敗を学びのきっかけにる河瀨裕輔さん。令和5年に農外から就農し、地域や地元農家との交流を大切にしながら農業に励む。有機質肥料の使用や減農薬に取り組み、消費者に安全・安心な作物を届けるだけでなく、農業に対する理解醸成にも注力。地元住民の食を支えるため、日々奮闘する。横浜市泉区の境川沿いに広がる農地を中心に、露地野菜や米を生産す脱サラして農業の道へ苦 境乗り越え地域に根ざす港南区日野河瀨 裕輔さん(39)濱 農浪 漫

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