JA横浜_Agri横浜VOL.254
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遠回りした農業への道仲間の存在が心の支えに ふかた実感がもてるようになった」。そう話すのは新羽・大熊農業専用地区内にある畑で、主力の小松菜を収穫する中山さん。2年前に経営を任されるようになり、同世代の仲間に支えられながら自身の営農スタイルを確立するために奮闘している。少しやんちゃな学生時代を過ごしながらも、畑仕事は定期的に手伝ってきた。いつか家業を継ぐことを意識していたのか、アルバイトではスーパーの青果担当や野菜の加工場など農作物と関わる仕事も経験。将来への準備を整えていた。然な流れだったが、「自分ひとりの力で生活をしてみたい」。そんな思いが芽生え、一念発起して茨城県の養鶏「ここ数年でようやく農家になれ今に至るまで紆余曲折があった。高校卒業後は就農することが自場で働くことに。卵を孵化させるための管理業務や東北や東海地方までトラックでの配送を任された。当時、まだ若かった中山さんには友人のいない環境や仕事の悩みを打ち明ける場がないことは過酷だったという。「社会の厳しさを学べたのは良かったが、力のなさを痛感した」と、悔しさをにじませた。悩み抜いた末、22歳でUターン就農を決意。「農家になるには早い方が良い。家を継ぐのではなく、まずは手伝いという形で戻った」と話す。中山家では当時、8㌃の畑で小松菜を専門に栽培していた。就農後十数年は祖父の孝治さんと父の信行さんが管理、中山さんが出荷調整や配送を担当。「畑で作業する時間はほとんどなく、やりたいことができないもどかしい日々だった」と振り返励む中山大輔さん。野菜の栽培歴は2年という経験の少なさを補うため、JA青壮年部都田支部の仲間と共に技術を高め合っている。昨年から取り組む農福連携施策が生産規模拡大の転機になり、今シーズンからさらなる飛躍を目指す。祖父、父から受け継いだ畑で地域の特産である小松菜を主力に農業に都筑区大熊町中山 大輔さん(35)濱農浪漫営農スタイル確立へ農福連携が希望の光に

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