JA横浜_Agri横浜Vol.242
7/12

農業を次の世代へ右上下右下左た川向町の開発により、農業の存続の岐路に立った。後継者不足から離農者が出る中、小金井さんは「この地に農業があることを途切れさせたくない」という強い思いで代替地を取得。ハウスの移築などの間も出荷を続けたいと考えた。港北区新羽町の休耕地を借りて生産し、少量でも卸すことで市場との関係を保った。地、新羽町にある畑40㌃ほどを管理し、周年で小松菜、春と秋はハウスでチンゲンサイも栽培。小松菜は春から秋は「夏の甲子園」、冬は低温伸長性のある「さくらぎ」「いなむら」をリレーし、全量を川崎市北部市場に出荷する。シーズン前には必ず土壌診断を受け、管理する畑ごとに施肥量を計算して過不足分を調整。夏場にはソルゴーを植えて緑肥としてすき込むことで保水性を良くし、微生物がすみやすい環境を作っている。生向けの食農教育にも取り組む。学校でボランティアをしていたことがきっかけで依頼を受けた。当初は1しかし、平成20年ごろから始まっ現在は親子で自宅裏のハウスと露小金井さんは平成19年から小学人で切り盛りし、川向町内の休耕田で「うるち米」の収穫体験を開いていた。3年後には近隣農家や住民の関心も高まり、有志が増えたことで「川向かかしの会」を結成。体験内容の充実を図り、あぜ道づくりや田植え、除草に収穫まで農家が行う全工程を体験できるようにした。保護者からの評判も良く、地域の輪を広げる模範的な取り組みとして市の教育委員会から表彰を受けたこともある。開発とコロナ禍でここ数年は中止を余儀なくされたが、令和2年に小金井さんの農地を造成するタイミングに合わせて、一部を水田にして食育を再開させようと動いた。JA営農技術顧問や営農インストラクターと共に、造成によって地盤が固められた土地の土壌改良から始め、井戸水を引いて再び水田として機能させた。一から作り上げた水田には〝令和の田んぼ〟という愛称を付け、地元の和太鼓クラブの生徒に農業の魅力を伝えるために活用している。「初年度から栽培もうまくいった。何よりも子どもたちの笑顔が見られたことがうれしい」と食育の成果を実感し、「可能な限り、農業を中心とした地域交流の場を残していきたい」と目標を掲げる。父の佐治さん と共に出荷準備水田の土質を見る小金井さん㊨と柳孝志営農インストラクター春作に向けて順調に生育する小松菜の苗チンゲンサイの播種に向けて耕うんすけ はるは  しゅ奥

元のページ  ../index.html#7

このブックを見る