JA横浜_Agri横浜Vol.242
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ゆう開発でその姿は一変し、商業施設や物流倉庫、公園などを含めた街づくりが進む。それに伴い耕作面積が減りつつある中、小金井友治さんは自宅裏に代替地を取得。地元農業を守るために小松菜の周年栽培に励んでいる。一から作った水田では地域住民を巻き込み、子どもたちへの食農教育にも力を注ぐ。数年前までは水田が一面に広がっていた川向町。港北I・C周辺の大規模な進路の方向転換市場との信頼築く指したらどうかと勧められ、その気になっていた」と小金井さん。農業を継ぐつもりはなく、幼少期から家の手伝いはしてこなかった。リと稲作を主力にする農家が多かった。小金井さんの家ではパイプハウスで野菜を管理していたため自然災害で倒壊することがあり、肩を落とす両親の姿を何度も見てきたという。「力になれることはないか」と考え始めたころに父が小松菜の周年栽培に転換。良い機会だと考え、基礎知識を身に付けるために高校卒業後は東京農業大学の短期大学部への進学を決めた。に励んだ。町内ではいち早く小松菜栽培に取り組んでいたが、栽培の相談相手がいないことや出荷先の拡大「高校生の時は担任から教諭を目この頃の川向町は、トマトやキュウ就農後は祖母、両親と共に農作業など課題も多かった。父の代から加入していた地元農家で組織する出荷組合での視察研修や、情報交換が助けに。先輩の誘いで青壮年部都田支部に加入したことも、経験の浅い小金井さんにとって心のよりどころになったという。横浜は全国有数の小松菜の産地。この地域は特に生産が盛んで、当時は栽培技術に注目した他県の農家が出荷組合の仲間のもとへ視察に来るほどだった。小金井さんは最新の技術や情報を身近に得られ、被覆資材や温室での栽培などをすぐに導入し、露地一本の栽培から今の営農スタイルの基盤を作った。それまでは雨風の影響で作業効率の低下に悩んでいたが、生産量も安定。毎日出荷し続けることを最大の売りにし、市場担当者との信頼を築いた。 じ都筑区川向町小金井 友治さん(51)濱農浪漫農業守る思いを次代へ食育で広がる地域の輪

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