JA横浜 vol.230
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自家苗木にこだわり山本達夫さん(70) 港北区新吉田町植木生産専門に転換せり市は貴重な情報源桜が咲き始めた3月下旬、奥平園では柑橘系の苗木の植え替え作業に追われていた。ほ場は数か所に分かれ、合計で1・8㌶。新吉田町は谷戸になり、場所によって2、3度の気温差があるという。「土も赤、黒で性質が違う。徴があるので、木に合った環境を選んで管理している」と話す。同園の苗木の7割は挿し木や接ぎ木での増殖と、実生から育てたものだ。「労力はかかるが、一から生育するのでお客さまに安心して送り出せる」と、品質に自信をのぞかせる。山本さんは大学を卒業後すぐに就農。「長男として家を継ぐ覚悟はあった。そのために18歳から植木業者でアルバイトもした」と振り返る。職人の世界なので技術は見て学ぶのが基本。もともと聞いて覚えることが苦手だった山本さんには合っていたという。父から教わったことも基礎のみ。必死に自己研さんを重ねた。父が早くに亡くなり、30歳で園主に。当時、造園の仕事が次々に舞い込むほど景気が良かった。その反面、人手不足で畑の管理が行き届かずに畑を荒らすこともあった。10年ほどは両立していたが、このままでは苗木の品質が落ちてしまうと考え、収益は下がるが農地を守るために植木生産を専門にすることを決めた。山本さんは、毎週金曜日に都筑区東方町のJA植木流通センターで開かれるせり市に欠かさず参加。出品が無くても顔を出し、造園会社やJAの植木部員から要望を聞き取る場としても活用している。最近は浩気さん㊨とマキの手入れをする達夫さん 60以上ある栽培品目もそれぞれ特山本達夫さんが営む「奥平園」。祖父の代ではこの地域の名産だった桃を主力に、野菜や栗を生産していた。平成に入り、都筑ICや商業施設の開発により近隣に住宅が増え、庭木の需要が高まったことを受けて父の代で植木に転換。山本さんは現在、農地を守ることと苗木の品質維持を考えて植木生産を専門にした。妻の早苗さんと長男の浩ひろ気きさんの3人で日々奮闘している。自家育成の苗木に自信家族一丸で農地を守る

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