JA横浜_Agri横浜Vol.241
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ひ けつが、当時から機械いじりが得意で、今でもトラクター、耕運機、土寄せ機、トレンチャーなどをそろえ、メンテナンスを一人でこなす。高齢となり、50代前半で早期退職。本気で就農を決めた証しに、自宅前に広がる水田は周囲の山土で埋め、その上に赤土を運び入れて畑にした。自分が中心でやるようになると、種や苗を収穫できるまで上手に生育させる過程が楽しみに。いつしか農業に自信が持てるようになっていた。で、磯子区滝頭に車庫を借りて直売をしていた。4日置きに開き、お客が待ちわびて行列をつくり、品切れで早く帰ってこられるほどよく売れたという。4〜5軒あった参加農家は2軒まで減り、15年ほど前に40年近い歴史に幕を下ろした。入れ替わるかのように「ハマッ子」直売所本郷店が開店し、近くに販路ができたことを大いに喜んだ。始まった生産緑地制度。健在だった父親はすぐには申請せず、数年後に父親の代から近所の農家と共同柳下さんの就農後、平成4年から指定を受けた。「先祖から受け継いだ農地を守りたい気持ちもあっただろうが、農業を継いだ私が30年の終身営農という条件を全うできるか悩んだのではないか」と回顧する。畑の周りを住宅が取り囲むが、臭いや騒音の苦情もなく、営農環境には恵まれている。父親亡き後も、相続税納税猶予制度の適用を受け、相続で農地を減らすことなく農業を継続。東京で会社勤めの長男は、休日に手伝いに来てくれるが、今後については「本人の気持ち次第」だという。まもなく30年の期限が到来するが、特定生産緑地として10年延長するかが目下の課題だ。長女が届けてくれる夕食を食べながら、その日の農作業をJAのカレンダーに書き込むのが日課。カレンダーは何年分もストックし、1年前の作業を振り返って改善に生かすことも。JAが発行する『営農情報』を1年単位でファイリングするなど、几帳面な性格を裏付ける。3年前に大腸がんを患ったが、初期の発見だったので、大事には至らずに済んだ。「今が絶好調」と元気満々で、生涯現役を続行中。健康の秘訣を聞くと、迷わずこう笑い飛ばした。「焼酎と畑だよ!」―。カレンダーが作業日誌右中左上、左下「ハマッ子」直売所本郷店にダイコンを陳列JAのカレンダーにその日の作業内容を書き込む昨年6月、JAが提供するFMヨコハマの番組「大地とみのりの大冒険」の収録では、果菜類の名人として紹介された55歳定年が一般的な時代、父親が

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