Agri横浜 vol.204
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掻かきや耕うんなどの力仕事はすぐ「農家に生まれたのなら働かざる者食うべからず」と父に叩き込まれ、幼少期は手伝いの毎日だったと振り返る野㟢さん。家畜小屋で、わらの交換を任されていた。実家は葉物野菜を主力に少量多品目栽培をし、4日に1回逗子で販売していたので畑も手伝った。今のように機械もなく、全て手作業。代しに上達した。休みも無く、いつしか「農業から離れたい」。こんな思いが強くなり、22歳で警察官になることを決意。この時は、結婚を機に農業の道に戻るとは思ってもいなかった。昭和54年、婿に入り、農業と勤めの両立が始まった。妻の両親と共に水田40㌃と畑を管理。少しでも畑仕事の時間を確保するため、交代勤務制の部署を希望した。畑は、荒らさないようにすることで手いっぱいだった。その中でも重機の運転が好きだったが、義父が作っていたサトイモまで耕してしまい、怒られた逸話もある。20年ほど前、水田が開発で遊水池になり、畑でサツマイモの栽培を始めた。  を楽しいと思えるようになったから」と、早期退職して農業一本に。仲間の直売で売らせてもらい、消費者のニーズに合わせて品種を選定。売れる楽しさも実感した。現在、3カ所1㌶の畑で小松菜やホウレンソウ、サトイモを主力に年間20品目以上の野菜を1人で手ろ 農業から離れ警察官に野㟢茂二さん(66) 泉区下飯田町勤めとの両立から農業に一本化安定した周年出荷目指す55歳のときに「農業株姿を整え丁寧に束ねる野㟢さんは栄区の農家の次男に生まれ、結婚を機に妻が住む泉区へ。住宅地に囲まれた畑3カ所で、野菜の少量多品目栽培をしている。アルバイトで造園をしていた経験を生かし、傾斜地をブルドーザーで平地にするなど、働きやすい環境を自分で整えた。一度は農業と離れたが、戻れたのは環境の変化や仲間の存在があったから。父の教えや幼少期の経験を生かし、収益を向上させるために突き進んでいる。警察官からUターン就農自ら販路を開拓し周年出荷

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