JA横浜 vol.226
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高校卒業後、自動車学校の指導員として働いていた角田さん。サラリーマン家庭で育ち、農業とは無縁の生活を送っていた。昭和56年、妻の三千代さんの家に婿に入ったことを機に就農。休みなく働く義両親の姿を見て、何か助けになりたいという思いからだった。「郷に入っては郷に従え」と、義父の勧めでJAの青壮年部本郷支部にも加入した。待望の男手と期待され、畑の管理もすぐに担うようになったが、作業指示をされた後は畑で一人きりに。「戸惑うことも多かったが、追い込まれたからこそ必死になれた。青壮年部の仲間や先輩方にも助けてもらった」と振り返る。当初は害虫防除を怠り、葉物野菜を虫食いだらけにしたことや、〝明日やろう的な精神〟で管理が後手に回り、育苗中の苗をほぼ全滅させてしまったことも。それからは失敗を繰り返さないため、どんなに些細なこともノートに書き、これを30年以上続けている。角田家では昭和30年代から引き売りを主力にする。対面販売はニーズを知る重要な場。元々はポピュラーな品目のみを栽培していたが、就農して10年ほどで全て任されるようになったことで、より消費者からの要望に応えるために品目数を増大した。最近では若い世代向けに朝どれトウモロコシや落花生なども取り入れ、年間40品目以上を手掛けるまでになった。現在は70㌃の畑を泰蔵さんと2人で管理。取材した11月はホウレン角つ田だ雅ま久ひさん(65) 栄区上郷町ささの 未知だった農業の世界ノートに記す苦い経験町内の地産地消に貢献直売では来客との会話を大切にする栄区はかつて鎌倉郡だった名残から、鎌倉時代の史跡も町に数多く点在する。角田雅久さんは昔からの引き売りや直売での対面販売を大切にし、家の近くで新鮮野菜が買えることを消費者に伝えている。非農家育ちという同じ経歴の娘婿・泰たい蔵ぞうさんと共に農業に励み、日々奮闘。食農教育や食品ロス問題の関心が高く、次代を担う子どもたち向けの青空授業や子ども食堂へ野菜を提供するなど、地元の食を支えるために尽力する。農業未経験からの挑戦研さん重ね地元農地を守る

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