Agri横浜 vol.213
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んて剪せい定を手伝うことはあった。ある「足柄まで視察に行って、そこで初めてキウイの実を見たよ」ー。令和2年度キウイフルーツ立毛品評会で優良賞を受賞した山本忠夫さんでさえ、昭和50年代には果実の姿形すら知らなかった。忠夫さんの父親は養鶏を営み、畑まで手が回らなかった。そこで手間なしで栽培できるという触れ込みのキウイに着目し、昭和54年ごろ、新田地区の5軒で導入したのが始まりだという。その頃、忠夫さんは都市ガスの配管設計をする会社員だった。父親から家を継ぐよう請われていたが、会社からも残ってほしいと慰留された。退職を引き延ばしていたが、母親が体調を崩したことで決意し、29才で就農した。同地区は戦後より梨栽培が盛んで、昭和56年から始まった横浜市観光農業振興事業でさらに生産者が増加。港北ニュータウンの換地で一団の畑が戻ってきた時期と重なり、忠夫さんも果樹栽培を志した。面倒見の良い先輩農家に恵まれ、妻の博美さんと二人三脚で梨とブドウを作り始めた。養鶏は父親のリタイアで徐々に規模縮小し、平成4年に果樹に一本化した。キウイは父親の管理だったが、時、思い切って枝を切り、自己流の剪定をした。枝は風に弱く、折れにくい枝にするために、下芽を伸ばすことを考えた。下芽は剪定部分から一番近い芽だけから伸びるが、勢いが弱い。そのため下芽の手前には養分が行き渡って芽が吹きやすくなり、そこから伸びる枝は丈夫になるはずという自分なりのだ 果樹栽培へ経営転換山本忠た夫おさん(67) 港北区新吉田町折れにくい枝を仕立てる技術HPの果樹園日記用に作業風景を撮影港北区新吉田町は梨の産地として古い歴史を持つ地域。山本果樹園は、第3京浜道路都筑インターチェンジから車で約2分の立地で、夏は梨とブドウ、冬はキウイフルーツ(以下、キウイ)を生産・直売する。園主の山本忠夫さんは、市内でのキウイ栽培の先駆者的存在だ。独自に剪定技術を考案し、大玉のキウイづくりを目指して日々向上心を燃やしている。剪定の技磨き大玉キウイを果樹園日記を公開し顧客獲得

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